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地域密着で取り組む住宅メーカー。
安定した経営と確かな家づくりを続け、
快適な住まいを提供いたします。
新年早々、能登地震、羽田航空機事故、痛ましい出来事が続きます。
ウクライナ・ロシア戦争、イスラエル・ハマス戦争、など多くの人々が亡くなる
戦争も続行中です。
人の命は地球よりも重いと言われているのに、何百人、何万人の人が亡くなり、
痛ましいだけでなく、戦争を起こした人を糾弾懲罰し、償いをさせないと亡く
なった人に申し訳ない気持ちになります。
自分の家族を亡くするということはその家族にとって一番悲しい出来事で、自然
災害の時でも割り切れない感情が起こります。戦争など、一人の権力者のエゴ
から起きたもので自分の家族が亡くなれば諦めるより、恨みが沸き起こります。
権力者個人やその家族がまず最前線に立って戦う覚悟と実践するのであれば国民は
納得するでしょうが、弾の届かない所で自分のエゴの理屈付けをやるような人物を
野放図にしておくべきでないと考えています。
今世界で起きている戦争のほとんどは権力者の個人エゴ、保身の戦いであり、
この戦争で家族を失うような事を止めさせないといけません。
地球温暖化防止、SDGsなど叫ばれていますが、まずは世界の戦争をなくする
事が喫緊の課題です。優先順位1位です。温暖化防止やいろいろなことも重要です。
でもそれをやるために戦争を無くする活力が分断平均化し、結局戦争を仕方ない
と諦めを生じさせているのでと思っています。
人の命が一番重要なのですからまず戦争を無くするというベクトルを全世界で
共有すべきです。
丁度工事現場などで、『無事故、無災害355日継続中』などの標語が掲げられて
いるように、『全世界、無戦争○○日達成、続行中』このような話題が日常の
風景になればと願っています。
自然災害の時は、仕方ない場合もあります。
起きた後の迅速な支援です。困っている人々を助ける、お金でも労働力でも、
まずは被災者に寄り添って全員が勇気づけ、口先でなく行動で支援しないと
いけません。
行政は災害を想定し、被災が最小になるような予防措置をすべきです。
日本は私有財産制をとっているので、その所有権の侵害ができません。
でも、全体の利益のためならばある程度の侵害、修正をしないと万が一の災害に
備えることができません。
物事の優先順位を考え、公の作業が個人の権限を上回ることも考えなければ
全体幸福が達成できないのではないでしょうか。
自然災害と関係ありませんが、SNSでの人身被害も多くなってきています。
プライバシー、個人情報保護法も個人の権利を尊重し、不可侵とするため、事件が
引き起っています。個人の権限も制限しないと世の中に『わがまま民主主義』が
横行する危険を感じています。
SNSでの言いたい放題も取り締まり強化すべきと思っています。
個人自由主義の行きすぎを制限しないと、人に感謝しない、自分の利益のために
他人を犠牲にする風潮ができてしまうようで危険を感じています。
罰則を強化し、判決が即決する仕組みも作るべきです。
公序良俗の実践はプライバシーに優先することを明確にすべきと考えています。
今年も残すところ10日余り、悲しいことばかりの一年間でした。
毎年自分専用の手帳を作成する。市販の手帳型のノートに線を引き、見開きで1週間
分の予定が分かり、メモができる余白のある手帳である。
過去の出来事なども毎年追加加筆してゆく。健康診断状態も過去数年分コピーし、
貼り付けている。
使い慣れているせいもあり、重宝している。
今年の手帳の2月からは、家内の病状の事が多く書かれてあり、心配したり希望を
持ったりしている。家内が危篤に陥った最後の時期の手帳に書かれいるメモと現実
の場面は深く記憶に刻まれており、鮮明に思いだされる。
いまだに、涙がとめどなく出てくる。
もっと医学的知識があったら、アドバイスができたのに、ネットで調べれば手が打て
たかも、近所のクリニックの対応がよければ助かっていたかも、後悔や反省、恨み
まで出てくる始末である。
去年の年末には、松山の兄宅で楽しい大晦日、正月を迎えれたのに、年が変わって
2023年、令和5年になった途端、悲しい1年間でした。
今年も兄宅に帰省する予定ですが、道中は一人旅、やるせない気持ちです。
小倉で一人正月を迎えるより、帰ってこいとの兄弟のいたわりに甘えようと思って
います。
私事で家内の逝去あり、仕事の業績も芳しくなく、おまけに常識で考えられない
仕事の中傷を受け、これらを全て180度好転させるようにしなければならない
来年になります。20年前、自分の意気込みだけで仕事にとりかかったことを
再現しなければなりません。
今年は自分の心の中、それも至って個人的なことばかりブログに書き、申し訳
ありませんでした。来年、どのような心の変化があるのか分かりませんが、少しは
楽しいことも書ければと思っています。
健康に留意され、希望に溢れた新しい年をお迎えください。
今年1年間ありがとうございました。 渡部 通
家内の逝去報告と新年欠礼はがきを郵送しました。
どの人も明るく元気だった家内の訃報に驚き、私へ励ましの電話や手紙を
頂きました。
50年前のお客様からもお悔やみをいただき、お礼の電話をすると声にならず、
かえって心配を増長するようなことになり申し訳ないと思っています。
私の私淑する、中村天風先生は、奥様が亡くなった時枕もとで大声で泣き、
その後は奥様の事で泣くことはなかったと言われています。
私などは全く逆で、日常の様々な場面で家内を思い出し、涙が溢れます。
帰宅した時には、玄関にスリッパを履きやすいように置いてくれていた。
毎日弁当を作ってくれた。私の健康を考えながら料理を工夫ししてくれた。
先日も、衣類の整理をしていた時に新しい肌着がありました。
肌着など必要な時に買うものと思っていたが、新しいのを買いおいてくれた
事で、彼女の優しさを感じ、また涙。
面倒くさいからまとめ買いして置いていたのかもしれません。
でも今の私からみると彼女の優しさになってしまいます。
全てが完璧主婦です。
古い友人には住まいも離れて会うことは少ないのですが、年賀状だけは送り続け
二人とも元気でやっていることをお伝えしていました。
年賀状だけの人も沢山います。でも、それらの人から激励のお手紙をいただく
のは家内の勲章だと思っています。
当時、お客様には家内を連れて挨拶に行ってましたから、ほとんどのお客様は
家内と私は一個の人と思ってくれていました。
家内もお客様に媚びる態度でなく、しかも失礼でなく、堂々と挨拶し、お話も
しました。この対応はなかなかできないと今でも感心しています。
昔は、社員を自宅に呼び、食事も一緒にしました。
支度は大変だったと思いますが、何か喜んでいたようで、社員との付き合いが
深まったのは彼女の功績と思っています。それが色々な場面で会社の団結を促し、
苦境を乗り越えられました。
本当に陰で私を支えてくれました。
今回のブログのタイトルを友人にしたのですが、結論を導くことができません。
古い友人の方々が私を励ましてくれることに感謝し、その人たちに御恩返し
をしたいと思っています。
世の中に大変な出来事が多発しています。
イスラエルとハマスのガザ戦争、ウクライナ戦争の続行…
地球温暖化とゼロカーボン運動
戦争は地球破壊活動、ゼロカーボンは地球存続活動。
私が考えていることは現実的にはできないと思うが、世界から戦争が無くなれば、
地球を存続させる運動は弾みがつき成功すると思う。
問題は現実戦争の即時停止と戦争の未然防止活動だと思う。
こんなことも考えながらも、今でも家内の事で頭が一杯である。
家内が亡くなって、時間を後戻りさせることできないので考えても仕方ないという
事は分かっているが、反省と後悔の日々である。
七日ごとの法要を行い、49日法要も松山で済ませた。行政への手続きは終了し、
生活してきた様々の処理は未了である。手紙などで気づくことがほとんどなので、
その都度やってゆくしかない。
物理的作業は多分できてゆくと思うが、心の執着心はスパッと切れないでいる。
思い出しては涙が溢れる。
楽しかったことも沢山あったはずなのに、最後の入院19日間の事が、かわいそうで
かわいそうで、守ってやれなった、助けてやれなかったことが思い出される。
入院初期は、自分のことより私の生活と体調を心配し、『犬の世話と食事が大変
だけど、頑張って、体力が落ちるといけないので食事をきちんと取って』
その一日後からは長い言葉はしゃべれず、『ありがとう、ありがとう』の言葉
ばかり。
最後の数日はのどの渇きから『水、アイス』『水、水』。
誤嚥があるから飲ませる事ができない。口に含ませるだけ、何もしてあげることが
できない。
看護師から『しゃべることはできませんが、聞くことはできますから耳元で話した
り、歌を歌ってあげて下さい。』妻への思いを率直に語り、歌も沢山歌った、
彼女に届くことを信じて。
入院してから、口からは食べ物は補給できず、点滴栄養剤だけであった。死の
数日前『ごはん』と言った。
私は『ごめんね、ごめんね』としか答えられなかった。
何もしてやれない、助けてやれない、守ってやれない、
健康診断に毎年一緒に行けば、行っていれば助けられた。行け、行けというだけ
で連れて行かなかった。
簡単な行動である。これをしなった。後悔だけである。
いつの日か、この辛い想い出から楽しい想い出を思い出す時になればと願っている。
耳元で一番沢山歌った歌は『母さんの歌』だった。
♪母さんが夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ
冷たかろうて、せっせと編んだよ
こんな歌だった、家内の事をお母さんと思っていたのかもしれない。
今日で家内が永遠の旅に旅立って1ヶ月になる。
仕事を始めれば、悲しさ、寂しさも紛れるとの助言も頂き、以前通りのスピードで
仕事しているつもりでいる。
でも家庭、家族の寂しさは仕事で埋めることはできず、仕事と家庭は別々の領域
なので、なかなかうまく調節できないでいる。
多分もう少しとか、もっと多くの時間とか、が、かかるのであろう
幸い、千葉から妹が応援に来てくれているので、心理的にも、家事の事でも
助かっている。
家内の着ていた服などの整理もしてもらっている。
箪笥の整理をしてもらっているときに、家内から私への手紙が出てきた。
平成16年2月に書いていた手紙で、封をしている。
書いたのだが、渡しそびれていたのであろう。それが今出てきた。
19年前の手紙。
出だし標題に 通様 と書いてある。
次の行に、今年の5月で結婚31年目になります。
あっという間の月日の経過でした。
その後、二人で行った、ハワイ旅行、香港旅行、ニューヨーク旅行、ラスぺガス
旅行、楽しかった思い出が書かれている。
私への感謝の気持ちが述べられ、また自分(俊子)と結婚できたことを喜んで
くれたら、うれしいと書かれてある。
『私と生活することで幸せを感じくれることがあったら嬉しいです』
こんな言葉が書かれている。
私こそ、俊子と結婚でき、一緒に暮らせたことが最高の幸せでした。
二人の存在はどちらか片方で成り立たず、二人がいたからこそ充実した、豊かな
時間を持てた。俊子は私がいたから存在したと書き、私自身も俊子がいたから
仕事にも、プライベートな生活も生き甲斐を感じた。
『照れくさいが、私の事を愛している。』と書かれてある。
好きなのはお互いに分かっているが、こんな直接的な表現は初めて。
私は、誕生日プレゼントする時など、直接的表現は度々する。
彼女からは今回の手紙が初めて。
嬉しいが、悲しい。亡くなった後に手紙で伝えてくれるなんて。
最後に、身体に気を付けて、仕事頑張って下さい。大きな夢に向かって
一歩一歩前に向かって進んでください。と結んである。
19年前というと、今の会社がどうなるのか、方向も見えず、ただ頑張るだけの
時代。
私への励ましの手紙だったのか、何か心に期することがあって書いたのか。
今となっては、知る由もない。
今日は朝5時半に目覚め、犬の散歩に出た。
東の空に、薄い三日月、三日月の右上に明けの明星、
何を見ても悲しく、寂しくなる。