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東宝ホーム 本社会社案内・IR情報社長の月刊Blog
令和7年3月8日 教育

60年近く前、倒産したスーパーマーケットの元ダイエーが『主婦の店』という名称で
全国展開をし始めた。
スーパーマーケットはまだ庶民にはなじめず、一般的な買い物は町中の小売店が全盛
であった。
デパートもあったが、それは高級品を買う特別な場所で、なかなか行く機会もなかった。
妻の実家は野菜果物の仲買、小売りをやっており、比較的裕福な家庭であったと思う。
我が家は貧乏で、戦災で母方の実家に疎開し、そこの空き家に暮らしていたので、住居費
がかからないおかげで、かろうじて生活が成り立っていたように思える。
貧乏であるが、子供たちの友人の出入りの多い、にぎやかな家庭であった。
これは多分、気さくで人の良い母親の性格が子供たちの友人を呼び寄せたと思っている。

妻は4人兄妹の末っ子で一番かわいがられ、何不自由なく暮らしたと思う。
だから、結婚して当時は料理とか本当に素人だったと思う。残念ながらその頃の料理の
記憶が全くない。
前のブログにも書いた記憶がある。私のお客様に婦人の友の会員の方が数人いて、
どの方も素晴らしい人物だったので、お願いして婦人友の会に入会させてもらった。
家事全般、家計、料理、菓子作り、家庭生活、そこで教わったと思う。
その頃からの料理やお菓子、ケーキは記憶にあるので、たぶん感動したのだろうと思う。
家事料理だけでなく、色々な影響も得た。
婦人の友では、地区ごとの寄り合い、『最寄(もより)』と言っている、月例の会合が
ある。
会合の具体的内容は分からないが、いつも読書会があると聞いていた。
羽仁もと子さんの著作を読み、日常の改善や過ごし方について皆さんで話し合って
いたのでなかろうか。
時々妻は話し合ったことを私に語ってくれた。
それらの中で私の記憶に突き刺さったことが二つある。
ひとつは、教育の話である。
人からの受け売りであろう。こういう言葉を言った。
『子供は親の思うように育たないが、親のように育つ』
教育というのは自分の背中、自分の生き方で行うものだという言葉であった。
あれこれ、立派なことを言っても、人が伸びるわけがなく、伸びるのは自分次第であると
同時に教える側、つまり、親の方の生きる姿勢にある。
『親のように育つ』という言葉を聞いたときに、自分の背筋がピンと伸びた。
会社でも経験と実績を重ね上役になってゆく。しかし、上役になっても人を指導するのは
おこがましいと思っている。
黙っていても伸びる人間は伸びる。重要なことはその人が伸びるために上役が常に前向きで、
挑戦的で、家族を大切に、仲間をいとおしく思うように強くて、優しい日常を送れて
いるかどうか。自分自身も理屈だけの人間に成り下がっていないか、反省している。
妻がいればチェックしてくれるはずなのだが…。
もう一つの事柄については機会があれば書きたいと思っている。

2025.03.08 16:32 | 固定リンク
令和7年2月13日 明日を語る

納入業者の方から、『社長のブログは、自分の思っていることが書かれていて
ユニークで面白い。』と言われた。面と向かっての会話の最中だったので、悪い
評価の話ではなかったと思う。
自分のブログを注目している人もいるんだと思ったし、商売の関係上、私の性格や
信条を確認するための情報源として見ているんだと思った。
私としては、自分の仕事のために書いていない。その時々感じた事、思った事を
書きつづっている。これらが自分の仕事に好影響なのか悪影響なのか検証した
事がない。
また仕事の事だけ書けば十数年も続かない。続いているのは身近な事を書いたから
だと思っている。今後もこの方針で行こうと思っている。

妻の病気が分かり、看病の甲斐なく亡くなり、亡くなって1年4ヶ月、発病から2年が
経った。
プライベートでは、家内の事ばかりしか思えない、かといって家内の遺品を整理
しているかと言えば手を付けられないでいる。
最近やっとアルバムに整理していなかった写真を見た。
家内と初めて会った日の写真が出てきた。1970年11月23日、今から55年前、私の
妹と一緒に関西旅行に来ていた時、兵庫の六甲牧場での写真であった。
その時は結婚など考えもしなかったが、その年末に松山に帰省した時に結婚を意識
し、1月3日大阪に帰る松山港でプロポーズした。
手も握ったことがなく、2回目の出会いでの即断だった。二人とも若かった。
以前はなんとも思わなかったが、経済力が未知数の私の元に嫁ぐ決心を即断した
彼女もすごい度胸の人だったと感心する。その後苦労はしたが、人並みの生活は
維持できた。彼女の内助の功が大きい。彼女がいたから仕事に邁進でき、それを
続けられた。
何故続けられるのか?考えた。
一緒に明日を語れる人がいるから続けられるという結論に落ち着いた。
それは家族である。
一番身近な家族のために頑張る。家族とともに明日を語る。
思い出も明日を語る前章である。自分一人であれば挫折しやすいが、家族のため
なら続けられる。家族の明日のため、一日一日を有意義に過ごしてもらいたい。
家族が大切だとつくづく感じる昨今である。

2025.02.15 18:06 | 固定リンク
令和7年1月16日 初 夢

今年の正月も故郷の松山に帰省し、兄家族と一緒に新年を迎えました。
兄弟(妹)4人とも健在で、年に2回、盆と正月に顔を会わせるのが年中行事になっ
ています。
しかしそれぞれ年相応なので、いつこの行事が終わるのか分かりませんが、皆が
元気なうちは続けたいと思っています。
松山にいる間は、兄家族と温泉に行くのが最大の楽しみで、心も身体も癒され
ます。
子供の頃、道後という土地に暮らしました。道後温泉がある所です。
その頃、家にお風呂がある家はほとんどなく、皆んな道後温泉に行きました。
湯札(ゆふだ)という一か月定期券を購入し、一回行く都度パンチで穴をあけ、
回数を計算されました。小学生のころまでは家族連れだって田んぼの小道を通
いました。
その頃空には、オリオン座が輝き、天の川が手に取るように見えました。
今は、天の川など全く見たことがありません。
道後温泉では、皆、裸の付き合いですから、金持ちも貧乏人も、警察官もやくざも
いがみ合うこともありません。
松山の人が比較的優しくて、ゆったりしているのはこのような環境で育ったせい
かもしれません。
中学生になってからは近所に住む、中野の啓ちゃんという友達と毎日誘い合って
道後温泉に通いました。
高校、大学の頃も通ったはずなのですが、その頃の温泉の思い出が全く出てこない
のです。部活動や勉強やもっと関心のある事の記憶が、変化のない温泉の記憶を
消しているのだと思います。
温泉三昧の三が日を松山で過ごし、小倉に帰ってきました。
初出社の5日の朝、妻が夢の中に出てきました。
湯上りのリラックスした表情で、悲しさや辛さは全く感じられず、笑顔で、『旅行
に行くので腕時計の電池交換をしておいて』と依頼されました。
そこで夢から覚めたわけですが、超嬉しかった。今まで従妹や妹は妻の夢を見た
という報告を受けていました。私には全く出てきてくれないので、たぶん私が
亡くなる寸前迎えに来る時にしか出ないのだろうと思っていました。
それが、5日の朝出てきてくれたのですから。この2年間で一番嬉しかった出来事
でした。
早速、電池交換をした時計を仏壇に飾りました。
このことを妻のお茶関係の友人に話すと、『天国に行く準備』という見解を聞き、
なるほどと思いながら、いつまでも私のそばにいて欲しいと思う気持ちから、仏
壇の時計を、別の場所に飾ってある妻の写真の前に置き直しました。
まだまだ、悲しさ寂しさは過ぎ去りませんが、一つ山を越えられた初夢でした。

2025.01.16 09:49 | 固定リンク
令和6年12月26日 2024年の終わりに 

今年もあと数日で終わります。
運の良かった年、そうでなかった年、その思いは全て自分の心の中にあり、自分の
考え方で決まると思っていました。
私は年回りとか、今年の運勢とか、おみくじとかあまり気にしないタイプの人間
でした。
今も運勢とかは気にいたしませんが、妻の病気が分かって、闘病中の9ヶ月、亡く
なってからの1年3ヶ月、およそこの2年ほどは、私の今までの運命のなかで最悪の
期間でした。何をしても喜びがなく、喜びがないから芯から真剣になれず、作業を
するだけ、こなすだけといった塩梅で情けない状態だったと思います。
周囲の人たちにも大変迷惑をかけたと思います。
20日間ほど前、30数年前に社員教育をしてもらった方から突然お電話をいただき
ました。
その方は税理事務所を経営されていて、講師もなさっている方です。会計学の講師
ではなく、人としての生き方、心構え、人生の姿勢を教えてくれる方です。
当時の事業所で社員全員の教育のため講習を依頼しました。
人生では色々学び、自分が変わる場面が幾度かあります。その先生に会った時期も
この場面であったと思います。内容も中村天風先生の言っていることと合致し、私の
頭の中に染み入るように入りました。
30数年ぶりに税理士の先生からの電話、先生が書類整理をしていた時に講習が終わる
都度、私が先生に出していたお礼の手紙を発見し、懐かしくて電話したと話してくれ
ました。
30数年前の事が一度によみがえりました。あの時も転勤して、当時の事業所の再建
に頭を悩ましていました。
仕事の技術も大切であるが、心構えはそれ上に大切と思い、たまたま知り合った
先生に心構えの研修をお願いいたしました。社員の心構えが変わったかどうかは
測定できませんが、業績は良くなりましたし、私自身が以前にもまして前向き思考に
なりました。
先生からの思いがけない一本の電話が、もう一度やり直せ、もう一度喜びを感じる
人生を作れと暗示しているのでないかと思えました。
来年早々に大分にいる、税理士の先生に会う約束もいたしました。
この2年間の気持ちを切り替えて来年は原点回帰を図ろうと思っています。
皆様におかれましても来る来年がよき年でありますようお祈り申し上げます。

2024.12.26 13:14 | 固定リンク
令和6年11月21 日 天 国 

やっと紅葉の季節になりました。と言っても自分自身は赤緑のグラデーションの
美しさは観たことがありません。
赤緑色弱でその色の判別ができません。銀杏の黄色はよく分かるので、黄色の黄葉
は目立ちます。以前、九重(くじゅう)の大吊橋と大イチョウの黄葉見物バスツアー
があり、妻と参加しました。懐かしく思い出されます。

最近、天国についてよく考えます。
天国の模様はどうなっているのか?
以前、天国には境がなく、大空間、大平原で、過去出会った人や動物が朗らかに、
楽しく暮らしている。妻は自分の親たちと楽しく暮らしている。こんな想像をして
ました。
最近は、いやそうでなく、天国にも今の住居、近隣環境と全く同じ所があり、そこ
で、2代目の愛犬キャリーと暮らしている。
このような想いを確信できるようになりました。
私が天国に行っても間違わないように同じ環境を作っている。
今の家は大分から転勤で北九州に来た時、借家住まいが嫌で早く自宅を建てたいと
思い、建築場所を2回、妻に提案しました。
そのどちらも了承せず、3回目に提案した場所が今の住所で、ここは賛成してくれ
ました。彼女が選んだ場所で、1軒目の家を建て、その後転職し、その会社が同業種
だったので、この会社を発展させる意気込みを示すためと思って、15年しか住んで
いなかった家を建替えました。
今から思うと無謀だったと思います。しかし、その無謀さが自分の気合を持続させた
のも事実です。
また、建替えた家には本格的茶室と言えませんが、稽古するくらいの茶室の態様を
整えました。妻も喜び、自宅で仲間や弟子たちとお茶の稽古を楽しみました。
妻の想いのある場所、思いのある建築でした。
ですから天国でも同じ環境で暮らしていると確信しました。
今、自宅にある小さな仏壇を通じて彼女は天国と現在を行き来しているように思って
います。
そのように考えると気持ちが少し楽になるようになってきました。
3代目キャリーを見送り、会社内容をもっとよくすることが私の使命と思い、もう
しばらく頑張ろうと思っています。妻もそれを期待していると思っています。

2024.11.22 19:57 | 固定リンク