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快適な住まいを提供いたします。
先月5月26日高校の同期会があったので久しぶりに松山に帰省した。
年賀状には『いつまでも 青春!!』と書くことが多い。
現役で仕事している間は、今も青春中と思って過ごしているが、仕事の青春と
高校時代のはちきれるような夢と希望の青春、淡い初恋のときめきと失望の
青春は全く異質であると感じた。
仕事の青春には必ず結果を要求され、それも良い結果でなければ充実感がない。
10代の青春には良い結果でも悪い結果でも、良い想い出として記憶される。
全てが懐かしい。
高校時代の同期は480名位いたと思う。今回集まったのは36名であった。
以前はオリンピックの開催の時に、4年周期で開催されていたのであるが、
お世話役の幹事の方が亡くなり、自然消滅的に終わっていた。
今回ゴルフ仲間が中心になり、ゴルフ表彰式の延長で同期会を復活させたら
しい。
年賀状に集まりがあったら知らせてほしいと出していたら、連絡があり今回の
帰省になった次第。
卒業後60年近くになるので物故者も多いが、何とか元気な間は会があれば
参加したいと思っている。
幸い、つぎのお世話役も決定したので次回はもっと多くの人と会えるのではと
期待している。
私のイントネーションは北九州地区の音程と違っていて、いつも関西出身です
かと聞かれる。松山弁、伊予弁のイントネーションは大阪弁と似ているのであ
ろう。
同期会では、伊予弁が会場内を満喫交錯し、一気に高校生に逆戻り、徐々に
白髪、禿げ頭、しわ顔が高校時代の顔に変化していった。
楽しくて、懐かしくて、やはり松山はいいなぁと感じたひと時であった。
4人兄弟の次男坊である。4歳上の兄、1歳下の妹、4歳下の弟。
今のところ、病気を抱えながらも全員無事健康に過ごしている。
今年の1月下旬に家内の病気が分かり、家事のできない状態が続き、自分が
家内から教えてもらいながらボチボチやっているが、千葉から妹が助けに
来てくれ、大変助かっている。
妹のご主人は転勤族で最後は東京勤務であり、千葉に居を構えた。
残念ながら数年前にご主人が病気で他界し、その後子供夫婦と同居生活を
している。
子供夫婦は、夫婦と孫3人の6人家族である。
小学生中心に子供3人、自分の娘も働いているので、家事の役割からすると妹の
存在は大きい。多分千葉でも困っているのではと心配している。
それを全く口にせず、私に負担をかけずに支援してくれている。
素晴らしい妹である。
妹のご主人は転勤族で、狭い社宅で暮らし、かつ転勤に備えていた関係もあり、
整理整頓が素早いし、合理的である。
私と家内はずっと一軒家暮しだったし、子供にも恵まれず、二人だけの生活
だったので、家事や整理整頓の工夫が少なかった気がする。
妹が応援に来てくれ、しばらくは応援者として傍観者的支援であったが、
今は家事の主体者として取り仕切ってくれ、少しずつ我が家の状態が変わり
つつある。
家内からするとそこまでしてもらわなくてもという所もあるかもしれないが、
妹の明るい性格で、そのような気持ちにさせていない。素晴らしい対応力で
ある。
小さい時から、口喧嘩は妹に勝ったことがない。力での喧嘩はしたことが
ないから、いさかいは全て妹の勝利ということである。
家内は妹の友達で、家内と知り合ったのは妹のおかげで、幸せのキューピッド
でもある。付き合いは私より古いし、私より話しやすい所も多いであろう。
私のいないとき二人で私の知っていないことも話している様子である。
家内も非常に頼りにしている。
ただ、千葉の子供夫婦も妹を頼りにしている事を思えば、いつまでも迷惑を
かけるわけにいかないと思っている。
早く家内が家事のできる状態まで回復するのと、私の家事工夫とスピードを
高めないといけない。
家内も兄妹もできるだけ長く健康で笑顔で過ごせることを祈っている。
兄妹のありがたさを感じ、感謝する毎日である。
今年になって、『ラーゲリーより愛をこめて』の映画を観て以来、映画を
観ていない。
映画や観劇は自分の好きな娯楽であるが、必ず家族と一緒に行く。
1月下旬に家族が健康を害していることが分かり、その回復を願い続ける
日々が続いている。幸い容体が悪化している兆候はなく、このまま快方に
向かい、また一緒に映画鑑賞や観劇ができる日を望んでいる。
家族が悪くなって、家族のことを考えることが多くなった。
仕事に没頭できたのも、家族の協力があったからであったし、仕事上で
唯一の相談相手は家族であった。自分の判断が正しいか、的を得ているか
確認するのも家族であった。
仕事を家庭に持ち込まない人もいるが、私は仕事も家庭も混同するタイプで
家族もそれを否とせず、私の独り言ともいえる仕事内容に世間一般の客観的
感想を述べてくれている。私にはそれが一番有難かった。
映画『ラーゲリー』も家族の映画であった。
戦争で離ればなれに、主人はソ連(今のロシア)のシベリアで強制労働、
帰国を望みながら、シベリアで没し、家族への遺言を仲間が口頭にて日本の
家族に伝えに行く。家族への想い、愛情が溢れていた。
家族のためであったら、頑張りを持続できるし、目標を持ち続けることが
できる。
自分一人であったら、中断、あきらめてしまう。
家族の存在は大きい。
社員全員家族を持っている。独身でも親、兄弟という家族がいる。
自分の家族のためにも、社員の家族のためにも、もうひと踏ん張りしようと
決心する日々である。
先月末不覚にもコロナに感染した。ワクチンを5回打っている効果があった
のか、37度5分の発熱が1日半だけであった。しかし、家庭内隔離を余儀なく
され、一週間ほど家族と近くて遠い生活を送った。
家族といっても、子供に恵まれなかったものだから、家内と二人だけの生活
である。普段は食事後テレビを観ながら、一日の出来事を話すことが主で、
私はほとんど仕事の話、自分の考えていることを話し、彼女に意見をもらう、
自分の考え方がずれていないかどうかを確認している。
他の人は自宅に帰れば仕事の話をしないということをよく聞くが、我が家は全く
逆の生活である。結婚以来変わっていない。彼女も現実に観ていないが内容は
よく知っている。社員の名前も憶えている。私の唯一の相談相手である
彼女の趣味はお茶なので、裏千家淡交会の運営の話、稽古、お茶会、仲間との
打合わせ内容、電話をそばで聞いているとこのような活動をしているのだと
いうことがよくわかる。
私も淡交会の運営などについて意見を言うこともある。
そのような日常であるが、コロナで監禁状態になり、ラジオと読書の一週間
であった。
近年小説はほとんど読まず、仕事に関することだけに専念していたのであるが、
昔読んだ小説を取り出し、読み返した。
浅田次郎の『鉄道員』『ラブレター』『角筈(かどはず)にて』
どれも家族の話である。涙があふれ出るような内容、人の生き方、その人に
関わる家族の思い、想いを伝えきれなかったり、表現できなかったり、その
チャンスを逃していたり、でも深い想いがどの小説にもあり、グッときた。
この2月で76歳になった。家族への想いがますます、強く、深くなり、いと
おしくなった。
できるだけ永く家族と笑顔の生活を望んでいる。
今年の正月は、故郷の愛媛、松山の兄宅で迎えました。
何か特別な行事があるわけでなく、年末にはお墓参り、年明けには氏神様に参拝、
あとはテレビ視聴だけという平凡な正月である。
ただ、松山に帰ってよいことは、温泉三昧の日常が送れることである。
子供のころ、親子6人(兄弟4人)が連れ立って道後の温泉に毎日出かけた。
そのころに、自宅にお風呂がある家庭はほとんどなく、みんな道後温泉を
利用していた。
そこで、近所や近隣の方と顔なじみになるから、知らず知らずのうちにコミュニケー
ションの仕方やマナーを学んだような気がする。
現在は道後温泉だけでなく、沸かし湯でない純温泉のスーパー銭湯が沢山できており、
駐車場も整備されているので道後温泉に行くより手軽なので、帰省中はその銭湯に
通い続けた。
温泉は体の芯から温まる。湯冷めしない。家庭の風呂では1時間も入ることができない
が、温泉では1時間以上の時もある。幸せだなぁと声が出る。
昔は故郷のことを懐かしいとも帰りたいとも思わなかったが、温泉につかると松山は
いいなぁ、この松山で生活したいなぁと思う。知り合いはほとんどいないので昔のよう
に人に出会う喜びはないが、ゆっくり、ゆったりの至福の時間を持つことができる。
兄弟4人とも全員70歳代、健在である。ありがたい。
年齢から考えると誰かが欠けてもおかしくない。
会える時にあっておこうと兄弟全員が感じているのではなかろうか。
2日には全員集合、無事を確認して、近況を話した。現役で働いているのは私だけ、
みんなそれぞれ病を抱えながらではあるが、元気に日常を送っている。
これが一番いい。年を重ねながらも兄弟が健康でいてくれるのはありがたい。
故郷で知人、友人が少なくなった半面、北九州での知人、友人は増えた。
生活環境は北九州でできている。もう、松山に帰り、生活することはないだろう。
だが、兄弟が健在でいる間は、盆、正月には帰省を続けたいと思っている。