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地域密着で取り組む住宅メーカー。
安定した経営と確かな家づくりを続け、
快適な住まいを提供いたします。
妻が亡くなって半年が過ぎた。懸案であった相続登記も無事終了し、写真や
メモなど二人の生活の思い出の整理だけになった。ゆっくり時間をかけてやって
ゆこうと思っている。
時間薬が悲しさや寂しさを少なくし解決してゆくと考えていた。対外的なものが
解決し、日常の整理に取り掛かろうとする今のほうが悲しさや寂しさが増してき
ている。
先日、旧来の友人が会社に来てくれた。わが社の仕事も手伝ってくれているので
今後の報告という名目であるが、私の見舞いだったと考えている。
彼も10数年前奥様を亡くし、妻に先立たれたという事では私と同じ境遇であり先輩
である。
彼曰く、奥様が現実にいなくなったことを実感するまで2年間ほど費やしたという。
それまでの間、反省と後悔の連続で妻の死を認めたくなかったんだと私は解釈した。
その後、彼は再婚をして、新しい生活と共に時間の経過が彼の心の平穏を取り戻し
たのだろうと思った。
私が今後の人生をどのように歩むか全く分からないが、反省と後悔が薄まるには
2年ほどの時間が必要という理解はできた。
仕事には一生懸命取り組む性格なので、自分自身の不調や不具合を仕事に持ち
込まない自信はある。今までは妻が仕事の相談相手であったが、今は仏壇の彼女に
やるべきことの報告するように変わった。
仕事の責任だけは全うする覚悟である。
妻の趣味はお茶であった。今も茶道関係の友人が時々来てくれ、妻の思い出を話
してくれる。非常に有難い、亡くなったことを実感するが、妻のやりたかったこと
や私以外の人との日常が分かってうれしい。
ものすごく温かい交友関係だったことが分かり、自慢したくなるほどである。
病気治療中も『来年はこの道具を使ってこんな稽古をしよう。』など具体的な
ことを話していた。そんな話を聞くと、病気を絶対克服、完治すると信じていた
のだと確信した。
妻の話は、夢でなく計画だったと思った。その計画を実現したかったと思う。
夢ならば諦めもつくが、計画ならば実現したかったと思うし、実現させてあげれ
なかった反省と後悔がこみあげる。
『ごめんね、ごめんね』の言葉しかでない。
今後、彼岸の法要、初盆、一周忌と時が経過する。自分の心がどのように変化して
ゆくのか観察しながら1年を送りたい。
今は、特に一人になった時、妻への思慕だけの毎日である。
今年の2月13日で満77歳になった。昔なら数え年で祝うので多分75歳くらいで祝うのだと
思うが、現代では満77歳が通常のようである。妻の友人や親族、会社の社員から祝福を
いただいた。
有難いことである。
仕事を続ける上で自分の存在が老害になっていないか、自分なりに確認しているつもりで
いる。しかしどの老人も、判断はいつも身びいき、自分本位になるのでさらなる確認の
大切さを感じている。
人はそれぞれ長所と短所を持っており、その長所がある局面では短所になりその逆も
ある。
自分の長所は現場主義、現実主義だと思っている。いまだにこのような販売方法を取れば
もっと沢山の営業成績を残せた。もっと沢山の人々と巡り合えた、と考えることがしば
しばである。
社長がそんな局面の戦術まで細かく掘り下げないでもと思う社員も多いのではと思う。
でも、住宅は個人がお客様なので、大量受注などできず、一人一人の人間力とそれの
表現方法が基本だと思う。お客様心理や生き方哲学まで掘り下げるようになる。
奥の深い仕事である。
それが短所になり、3年計画、5年計画などの長期計画が苦手である。
今がないと、来年再来年などあるはずがない。今、この瞬間が大事。
長期計画も瞬間の対応どちらも優劣がつけられない、場面が違えばどちらも正しいし、
間違いでもある。
そんなことを思いながら、25歳から住宅の仕事に携わっている。
いつかは引く時期が来る。
昨年1月に家内の病気が分かり、看病し、9月12日に亡くなってしまった。
自分も仕事を辞めようと思った。そんな時に住宅環境の悪化と会社の社員の若々しさ低下
が表れていたのを感じ、こんな状況で辞めれないとこの喜寿の年に気づき、頑張ろうと
思っている。挑戦し続ける若々しい会社にしておかないと後輩たちに申し訳が立たない。
20年前に挑戦したことを再度やるつもりでいる。
昔、他社の尊敬する友人に私は今の仕事で殉職する覚悟の手紙を送り、その覚悟の強さで
彼に転職を促し、手伝ってもらった。
その時の強さをもう一度やろうと思って居る。
私も家内も愛媛県松山市の出身である。高校は違うが2学年後輩が彼女である。
出身校の東京支部の方々が毎年新年会を行っている。
会の名前が『北斗18星』 北斗は学校名が北高校だったから、同窓会の本部名が
『北斗』なので、北高校の18期生という由来から、この名前を付けたのだと思う。
家内も招待を受け、何年か前から参加させてもらっている。
詳しい内容は分からなかったが、楽しそうだったし、次の会合を楽しみにしていた。
遠方から来るのは、家内と大阪の二人だということは聞いていた。
お金と時間をかけて行くのであるから、よっぽど楽しかったのだと思う。
1月24日(水)その会があると聞いたので、部外者であるが参加させてもらいたいと
お願いし、快諾をいただいた。
家内の幼少時、高校時代、現在の写真や遺影を持って参加した。
皆さん、飾り気がなく、きさくですぐに打ち解けることができた。
みんなそれぞれ彼女の想い出を語ってくれ、有難かった。
存命中は彼女の過去のことなど知ろうともしなかったし、昔のアルバムを見ること
もなかった。
亡くなってから、写真を探すし、走り書きしたメモまで大切に保管している。
高校の修学旅行のアルバムに書かれた感想文、成人式の文章、婦人の友の会に寄せ
た文など今は私の宝物になっている。
二次会でカラオケに行った。
舟木一夫の『学園広場』の合唱で始まり、面々が全員が知っている歌謡曲中心の
カラオケ大会、ほっとする。若い人たちとカラオケに行くとアップテンポのリズム
で歌う曲ばかりで、私にはまったくの不知のもの、メロディと歌詞をかみしめるよ
うな曲など皆無。
同世代の人だけのカラオケは初めてであったが、この空気感は最高と思った。
彼女もこの空気感が好きで、いつも参加していたのだと直感した。
高校生のような老人軍団がそれぞれに、みんなが知っている歌を歌う。
知っている歌を聞く安心感。
大学生の頃、歌声喫茶というのがあった。今から思うとおかしいが、店の中で全員
がロシア民謡を合唱する。全体でいる安心感があった。その後、個人中心の世の中、
私らしく生きたいなどいう面々が増えて、プライバシー尊重で他人のことに関わっ
てはいけない風潮。名簿も禁止。
どちらかと言えば『我まま民主主義』
困っていても助けることもできず、セクハラ、パワハラでつるし上げられる危険も。
ますます、見て見ぬふり。こんなことで世の中いいのであろうか。
災害の時だけボランティア、その時はプライバシーは棚上げ。
今回の同期会に参加して、友情とはある程度個人の中に入り込み、かつ相互尊重が
ある、このような環境を指すのではと思った。
完全に助けられることはできないが、自分で助けられる範囲は助け、その仲間が多
くなれば大きな力になる。
助けられる人もそのうち助ける側に回れるように頑張る。
このような世の中の仕組みができるのではと、この同期会で感じた。
今のような世間の在り方では全体が考える文殊の知恵が発揮されない。
詐欺やユーチューブでひと山当ててやろうとするセコイ人間だけになるのでは?
こんな疑問を感じた。
結局、昔は良かったという風になるのであるが、昔は相手にきちんと向き合って
自分の意見を言った。スマホ越しの会話でなく、目と目を見て話した。
助ける人間かそうしてもダメな人間かの区別もできた。
カラオケの最後は『ふるさと』の合唱で終わった。
ウサギ追いしあの山、小鮒釣りしこの川、・・・
ふるさとである。
ふるさとの山に向かいて 云うことなし
ふるさとの山は ありがたきかな
新年早々、能登地震、羽田航空機事故、痛ましい出来事が続きます。
ウクライナ・ロシア戦争、イスラエル・ハマス戦争、など多くの人々が亡くなる
戦争も続行中です。
人の命は地球よりも重いと言われているのに、何百人、何万人の人が亡くなり、
痛ましいだけでなく、戦争を起こした人を糾弾懲罰し、償いをさせないと亡く
なった人に申し訳ない気持ちになります。
自分の家族を亡くするということはその家族にとって一番悲しい出来事で、自然
災害の時でも割り切れない感情が起こります。戦争など、一人の権力者のエゴ
から起きたもので自分の家族が亡くなれば諦めるより、恨みが沸き起こります。
権力者個人やその家族がまず最前線に立って戦う覚悟と実践するのであれば国民は
納得するでしょうが、弾の届かない所で自分のエゴの理屈付けをやるような人物を
野放図にしておくべきでないと考えています。
今世界で起きている戦争のほとんどは権力者の個人エゴ、保身の戦いであり、
この戦争で家族を失うような事を止めさせないといけません。
地球温暖化防止、SDGsなど叫ばれていますが、まずは世界の戦争をなくする
事が喫緊の課題です。優先順位1位です。温暖化防止やいろいろなことも重要です。
でもそれをやるために戦争を無くする活力が分断平均化し、結局戦争を仕方ない
と諦めを生じさせているのでと思っています。
人の命が一番重要なのですからまず戦争を無くするというベクトルを全世界で
共有すべきです。
丁度工事現場などで、『無事故、無災害355日継続中』などの標語が掲げられて
いるように、『全世界、無戦争○○日達成、続行中』このような話題が日常の
風景になればと願っています。
自然災害の時は、仕方ない場合もあります。
起きた後の迅速な支援です。困っている人々を助ける、お金でも労働力でも、
まずは被災者に寄り添って全員が勇気づけ、口先でなく行動で支援しないと
いけません。
行政は災害を想定し、被災が最小になるような予防措置をすべきです。
日本は私有財産制をとっているので、その所有権の侵害ができません。
でも、全体の利益のためならばある程度の侵害、修正をしないと万が一の災害に
備えることができません。
物事の優先順位を考え、公の作業が個人の権限を上回ることも考えなければ
全体幸福が達成できないのではないでしょうか。
自然災害と関係ありませんが、SNSでの人身被害も多くなってきています。
プライバシー、個人情報保護法も個人の権利を尊重し、不可侵とするため、事件が
引き起っています。個人の権限も制限しないと世の中に『わがまま民主主義』が
横行する危険を感じています。
SNSでの言いたい放題も取り締まり強化すべきと思っています。
個人自由主義の行きすぎを制限しないと、人に感謝しない、自分の利益のために
他人を犠牲にする風潮ができてしまうようで危険を感じています。
罰則を強化し、判決が即決する仕組みも作るべきです。
公序良俗の実践はプライバシーに優先することを明確にすべきと考えています。
今年も残すところ10日余り、悲しいことばかりの一年間でした。
毎年自分専用の手帳を作成する。市販の手帳型のノートに線を引き、見開きで1週間
分の予定が分かり、メモができる余白のある手帳である。
過去の出来事なども毎年追加加筆してゆく。健康診断状態も過去数年分コピーし、
貼り付けている。
使い慣れているせいもあり、重宝している。
今年の手帳の2月からは、家内の病状の事が多く書かれてあり、心配したり希望を
持ったりしている。家内が危篤に陥った最後の時期の手帳に書かれいるメモと現実
の場面は深く記憶に刻まれており、鮮明に思いだされる。
いまだに、涙がとめどなく出てくる。
もっと医学的知識があったら、アドバイスができたのに、ネットで調べれば手が打て
たかも、近所のクリニックの対応がよければ助かっていたかも、後悔や反省、恨み
まで出てくる始末である。
去年の年末には、松山の兄宅で楽しい大晦日、正月を迎えれたのに、年が変わって
2023年、令和5年になった途端、悲しい1年間でした。
今年も兄宅に帰省する予定ですが、道中は一人旅、やるせない気持ちです。
小倉で一人正月を迎えるより、帰ってこいとの兄弟のいたわりに甘えようと思って
います。
私事で家内の逝去あり、仕事の業績も芳しくなく、おまけに常識で考えられない
仕事の中傷を受け、これらを全て180度好転させるようにしなければならない
来年になります。20年前、自分の意気込みだけで仕事にとりかかったことを
再現しなければなりません。
今年は自分の心の中、それも至って個人的なことばかりブログに書き、申し訳
ありませんでした。来年、どのような心の変化があるのか分かりませんが、少しは
楽しいことも書ければと思っています。
健康に留意され、希望に溢れた新しい年をお迎えください。
今年1年間ありがとうございました。 渡部 通