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地域密着で取り組む住宅メーカー。
安定した経営と確かな家づくりを続け、
快適な住まいを提供いたします。
ウクライナとロシアの戦争、戦争をしたくもないのに勝手な理由をつけて踏みにじられる。
毎日毎日のテレビのニュース、ロシアの行状に腹立たしくなります。
自分の家にならず者が突然やってきて、家の中を壊したら、相手を叩きのめすくらいの抵抗を
するのは当然だし、自分の家でなくて知り合いの家にそういう事が起きたら、一緒に戦うのは
普通だと思う。
第三次世界大戦の危険性があるから、支援の枠はここまでと決めているようであるが、果た
してこの方法が正しいのか、弱い者いじめが起きている現場を目にしながら、直接的に
助けられない。何かモヤモヤする昨今状況です。
専制国家、独裁国家、ロシア、中国、北朝鮮、シリア。原子力爆弾を持っているから、大量
化学兵器を持っているから、腫れ物に触らないように、刺激しないように、付き合う。
ますます、つけあがる。
何とかできないものかと思う。早く、ウクライナの勝利で戦争終結してもらいたい。
エネルギー価格が上がる、全ての商品、サービスが値上げラッシュになる、購買力が落ちる
ほど値上がりすれば・・・・超危険な気配です。できるだけ値上げをせずに、購買力を維持
できるようにしなければなりません。苦しい時はみんなで助け合ってしのがないといけま
せん。
満開の桜、世の中は暗い表情だが、満開の桜の下は、何か晴れやか、うきうきする。
豊前の中原という場所に、紅枝垂れ櫻が満開になっているというニュースがあり、早速
先日の休日に観に行きました。
場所が分からないものだから、豊前市役所に電話し、道順を調べ、到着。
運よく、枝垂れ櫻の並木を作った人に出会う。京都の平安神宮の苗だと聞いて感激。
というのも、平安神宮の裏には、立派な庭園があり、桜と池の佇まいが抜群なのです。
そこの枝垂桜も見事で、桜の季節にはいつも観に行きたいと思っていました。
その桜が豊前にあったのですから感激です。
平安神宮と趣は違いますが、ボリュウムだけなら豊前が勝っています。
ウクライナが大変な事になっています。21世紀に公然と侵略戦争が行われ、それを世界
が止められないようなことが起きるとは驚愕です。それも世界のリーダーであるべき大国
がするというのですから・・・。
軍事力特に核を保有していれば、それを脅しに使い他の国まで蹂躙できるという悪の前例
を作りました。
国際連合など何の役にも立たない。失望です。もともと常任理事国に拒否権があること
自体おかしいと思っていました。
世界は大きく国民が主体者である民主的な国家と独裁者が主体の専制主義的国家の2つに
分けられます。
それぞれに長所、短所があり、どちらがいいと断じることは難しいのですが、専制国家の
方が方針決定が早く、実行力もあり、いいように感じられます。しかし、その時は国家
元首の性格、価値観、倫理観、世界観などの人間品質が超重要になります。
今のロシアのプーチンなどは史上最悪の専制君主になります。
未来の歴史の評価では最悪、最低の元首として名を刻まれるだろうと思っています。
このような人物の末路は非常に哀れになるのが歴史の事実です。
彼が今後どのような終末を迎えるのか歴史と照らし合わせながら観察してゆきたいと思っ
ています。
現状のウクライナを助ける方法がないのか、我々にできるのはウクライナに同情を寄せる
だけでいいのか、支援できることはしなければと考えています。
専制主義国家はある時期大いに発展します。国家元首も国民に寄り添い、国民と共に国家
が繁栄します。しかし、国家元首とその取り巻きの私利私欲の政治に傾倒し、国民からの
信を失い、その立場を追われます。その期間は一代でダメになる時、2代、3代に亘るとき
もあります。
歴史ではほとんど腐敗して晩節を汚すことになります。これは人間の性(さが)なんだろ
うと考えています。
その点、国民主権の民主的国家は元首が投票で選ばれ、交代することで、長続きします。
ここでも、国家元首の人間力の差で発展、衰退がありますが、国家が悪政で無くなるよう
な事はありません。
専制主義国家と民主的国家を選ぶとすれば民主的国家の方が長期的繁栄があるはずです。
専制主義国家のほとんどは共産思想であり、我々が中学生のころ教わったソビエト連邦の
『コルホーズ』や『ソホーズ』の概念は夢のような平等で平和な世界でした。
しかし、その後、連合赤軍事件や浅間山荘事件また現在の北朝鮮の悪の行動、中国の覇権
主義、ロシアのクリミヤ併合、ウクライナ侵略など見ると共産思想では国民の豊かさと
平和は危うくなると感じています。
国の仕組みは民主的でないといけませんし、その国の元首は人を大切にする価値観、倫理
観を持ち、私利私欲に走らず、人間力の髙い人物であるべきです。
この家に養子縁組で来て9か月になる、年齢は3月22日生まれなので
今は11ヶ月、もう成犬に近い。
主人と出会ったのは、生後1ヶ月くらいだったので記憶にない。
名前は出会う前から決められていた。というより名前に似合った犬を探していた
という方が正しいかもしれない。
この名前は、3代目だそうだ。1代目も、2代目も同じ名前、『キャリー』。
幸せを運ぶという気持ちを込めて、主人の奥様が命名したらしい。
チャリーとかチェリーとか勘違いされることもある。でも一度出会ってボクなりの
愛情のこもった挨拶をすると誰も覚えてくれる。
同種の犬よりも人間の方に興味と好感を持っているので、思い切り愛情表現をする。
ボクとしては当たり前の挨拶をしているのであるが、みんな『本当に可愛い。』
『 連れて帰りたい。』などという。
人間はどの人も好きだが、一番好きなのは主人である。同じ目線で話し、同じ知能
程度の遊びに付き合ってくれる
棒切れの取り合いごっこ、ボール拾い、格闘、まあ、二人で童心に帰って鬼ごっこを
真剣にしているような感じ。
主人に飛びつくので、服は汚れぱっなしになるが、ボクの方はお構いなし、主人も
全然気にする様子もなく、むしろ喜んでいる。
主人の家は3階建てで2階がキッチン、ダイニング、リビングとなっており、その
部屋にゲージを置いてくれている。そこがボクの部屋である。
1代目、2代目は、玄関の土間のコーナーに犬の寝るスペースを作ってあり、そこが
兄さん犬たちの場所だったらしい。
主人も高齢になり、何か気持ちの変化があったのか、ボクはリビングでいつも主人と
一緒にいる。
ゲージの中に飽きたら、大声で叫ぶ、『ワン、ワン、ワン、外に出してくれ』最初は
『静かにしなさい。』などと言っているが、主人は根負けしてリビングに出してくれる。
リビングのソファで主人とプロレス、これがまた楽しい、怪我の危険がないから
主人が思い切り向かってくる、ボクも応戦する。
主人の奥様は半場あきらめ顔。
奥様だけの時はひと声も出さない、出してもゲージから出してくれることがないから、
暴れまくれるのは主人がいる時だけ。
毎朝と毎晩10時ごろから主人と一緒に散歩する。
2階から1階に行くのにエレベータを使う。今までエレベータを使う事がなかったと言って
いたが、ボクが来てから頻繁に使うようになり、設置していてよかったという話を聞いた。
15年前に新築したらしいから、今の状況を予感していたとボクは鼻高々である。
散歩は公園、夜には人もいないので、リードを外してもらい、走り回る。
主人も年齢の割に運動能力が高いのは、ボクとの鬼ごっこがよい作用しているのでは
思っている。
1代目も、2代目も10歳ほどで天国に旅立ったらしい。
兄さんたちも主人とこんな生活を送って幸せだったのじゃないのか思っている。
主人の寿命とボクの寿命がほぼ一致する年代、大いに青春を二人で楽しみたい。
今日の散歩が楽しみ、早く帰ってこないかなぁ。
明けましておめでとうございます。
今年の元旦は、愛媛松山の兄の家で迎えました。
1月2日には兄弟4人が集まり、楽しいひと時を過ごしました。
妹から、昔、子供のころ親子6人で迎えた正月を思い出したと手紙をもらい、本当にその
ような雰囲気でした。
それぞれの子供たちも巣立ち、兄弟4人も70歳代になり、4人とも元の家族状態に帰った
からでしょうか。来年も同じ形で集まりたいものです。
仲代達矢の芸歴70年の記念劇『左の腕』を鑑賞しました。
19歳で演劇の世界に入ったと言いますから、今年89歳です。
松本清張の時代劇、過去いろいろな人が演じてきた人情物です。
タイトルは違いますが、同じ内容のドラマなど見た記憶があります。
仲代の年齢に合わせ、脚色しています。大立ち回りもありますが、往年の鋭い動きは
できません。しかし、89歳という年齢を考えるとすごい稽古と鍛錬が想像できます。
今回の出し物は1時間30分、通しで演じられました。
舞台は一場面だけで、変わることはありません。
舞台の状況が変わる都度、照明が消され、次の状況を予想する音楽が流されます。
一般の演劇より、その回数が多く、暗闇になる時間も長かったような気がいたしました。
暗闇に次の場面を想像する。これが非常に新鮮でした。
今の時代はスマホで何でもすぐに回答が出て、考えたり、予想したり、想像したり
する状態が少なくなっています。
暗闇と音楽、本当に新鮮でした。新しい発見です。
高校1年生の時、知り合いの4歳年上の先輩に誘われ、石鎚山に登山しました。
石鎚山は西日本一の高い山で、今はロープウェイで行けますが、当時は歩くしか方法
はなく、急坂の岩山を必死で登り、山頂の山小屋で一泊しました。
その時の暗闇の中で見た星空の美しさ、星の大きさの感激が今でも脳裏に焼き付いて
います。
今回の演劇の合間の暗闇に同じ感動を覚えたのは何故でしょうか?
不思議です。
現代に必要な空間、必要な時間があるのではと示唆しているように感じます。
想像が創造を生む。自分で考える。予想する。推測する。
今の時代に失われつつある自分で考える習慣。これが大事だと思いました。
劇は観る人によっていろいろな見方、いろいろな感動があります。
年の初めに仲代達矢の現役最後になるかもしれない良い劇を観ることができました。
感謝です。
この時期,喪中欠礼ハガキがきます。
歳を重ねるごとに増えてくる『あぁ、あの人も亡くなったのか。』と寂しい思いになる。
25歳から34歳まで大分で最前線の住宅営業をした。今から40年から50年前のことです。
当時、日本も発展期で活気に満ちていたし、前の会社も草創期で溌剌としていました。
社員もよく働いた。私も他の社員よりも働いていたと思う。その時の習慣が、自分の性格
形成にも影響し、仕事への取り組み姿勢、考え方、行動スピードも変えたような気がしている。
今でも現場第一主義を貫いているのはこのおかげだと思っている。
大分で営業しているとき、T様というお客様と巡り会い、立派な家を建てさせていただいた。
眺望の良い南斜面の高台にT様の要望を入れた素晴らしい家でした。
丁度、正月に完成し、1月末引っ越しというタイミングで、2日間お借りして、完成見学会を
させていただいた。ふつう寒い時期に見学会に来られる方は少ないのですが、魅力的な建物
だったので、沢山のお客様にご来場いただいた。
T様は自転車の組み立て、卸し販売をしていました。
当時自転車は売れにくかったのですが、T様の会社は順調でした。
仕事が終わってからの打ち合わせとなるので、毎晩、毎晩訪問しました。
最初は受け入れてくれなったが、私のくどい位の熱心さに心を開いてくれ契約となった。
それから、T様は業態拡大を目指し、大分から福岡に進出しました。
その時のT様の働きぶりが私に大きな教訓を与えてくれました。
福岡の大野城の近くに倉庫を借り、その2階で寝泊まりしながら仕事を開始しました。
ご夫婦が倉庫の2階で生活する。大分で事業に成功し、あれほど立派な自宅があるのに、
こんな苦労しなくてもと思いました。
でも、事業を拡大するには、大分よりも福岡という考えがあったのだと思います。
ご夫婦の仕事に没頭する働きぶり、従業員に対して率先垂範する姿勢、事業とはこのように
しないと成功しないのだ。サラリーマンは甘い、厳しさが違う。
商売の厳しさを目の当たりにみせつけられました。
けれど、T様ご夫婦はきついとか、厳しいとか、口にすることなく笑顔で仕事の夢を語って
くれました。
その後、社屋を建てたいとのご希望をお聞きしました。RC構造で建てるという事でした。
当時私は別府営業所で営業所長をしており、福岡の土地に別府営業所が施工するという事は
テリトリー違反でした。またRC構造の事務所を請け負う事は禁止されていましたが、T様の
ご要望を満たすには私が前面に立つのが一番との判断で、契約させていただきました。
その後事業も順調に発展し、社屋のテナント経営も順調のように思えました。
ある時、テナントが出たので不動産業者を紹介してほしいとの依頼を受け、できる限りの
お手伝いをいたしました。
それからしばらくして、突然事業をやめられ、自社ビルも売却され、ご自身は顧問という
立場で別の会社に転職されました。
その当時のいきさつは話してもくれませんでしたし、私もお聞きしませんでした。
いくら努力してもダメな場合がある。そのように感じました。しかし、T様はいつもの前向きな
姿勢と笑顔は変わりませんでした。
息子さんがニューヨークで働かれており、一年のうち3か月くらいそちらに行っていることを
お聞きし、T様のニューヨーク在住に合わせて休暇を取り10日間ほどニューヨークの息子さんの
ご自宅で過ごしました。
そんなことでT様と益々親しくなり、大分に行くときはご自宅を訪問しました。
3年前にお伺いし、お互いに近況を話し、楽しいひと時を送りました。
そのT様が11月14日亡くなったという喪中はがきを奥様からいただいたのです。
『元気だったのに突然』と、奥様は話してくれました。
私も残念でなりません。84歳、まだまだ事業の話をし、刺激を受けたかった人物です。
合掌