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東宝ホーム 本社会社案内・IR情報社長の月刊Blog
令和7年6月22日 母

妻と私の馴れ初め(なれそめ)のキッカケ仕掛け人が母じゃないかとの確信に似た
推測が出来上がって、母とのことをよく思い出すようになった。
母が妻を気に入ったのは勿論であるが、私が松山以外の他府県の人と結婚すると
松山に帰らない懸念もあったと妹が言っていた。
色々な出来事を偶然の重なりのように思っていたが、人生の必然のように動いて
いたんだと今になって感じる。
母は大正8年(1917年)生まれで、平成16年(2004年)86歳で亡くなった。
今生きていれば108歳である。
父とは3歳違いである。父が20歳頃結婚したというから17歳の花嫁だったんだろう。
お互いに会ったこともなく、親が決めた縁談だったらしい。
父の母が一度観察的に母に会い、母も分からぬまま縁談が進行し、結婚に至った
ようである。
父はその頃大学生だったというから、お互い親の意向に沿っていただけで、自分の
思いとか意見を言えなかったのであろう。
父の母は、松山で『いのじ(字体不詳)』という料亭を経営していた。
当時大学にいける人はごく少数で、父の言を借りれば、同学年で大学に進学したのは
二人だけだったらしい。東京での生活費、学費を出せる家庭など少ない時代であった。
たぶん経営は順調で繁栄していたのであろう。父の母としては、自分の店の後継者、
今でいえば若女将として母が欲しかったのではなかろうか。
たぶん父の妻としての適格性より商人としての母の性格を見抜き、料亭を切り盛り
する若女将として期待したように思える。
私の兄が誕生するまでの約10年ほど、父の母から料亭の経営を叩き込まれたのでは
なかろうか。
母は父の母を社会人になってからの恩師として尊敬して暮らしていたと思う。
第二次大戦が終わり、焼け出され、母方の実家の側にある家を借り、戦争から帰還
した父は地方公務員に就職し、親子6人の慎ましい生活がずっと続くことになる。
後年、父の母は脳卒中を患い、大変な看病を母がするのであるが、一言の泣き言
恨み言を聞いたことがない。献身的に看病する母の記憶しかない。
私達子供からすると母に苦労を掛けさせる父の母を邪魔者扱にしたくなる事さえ
あった。
母は自分の苦労を病人に当たることもなく、本当に実の親のように面倒を看た。
今から思ってもあのような看病は誰にもできない、それを苦にしたりする言葉を
一言も口に出さなかった母を誇りに思い尊敬している。

2025.06.22 13:56 | 固定リンク
令和7年6月6日 愛のキューピット

妻を亡くした私の事を心配して電話やメールをくれる人が何人かいる。
中でも兄妹の身内は特に心配してくれ、妹は時々千葉から出向いてくれ身の回りの
手伝いをしてくれる。
食事の後片づけ、洗濯、料理など生活必須項目を何とかこなすが、掃除機などは
ほとんどかけない。綿埃など自然蓄積する。でも後回しの末、やらず仕舞いである。
妹がやってきてくれ、隅々の掃除をしてくれ、日常が洗われたように気持ちよくなる。
二人で子供の頃の話をする。私はほとんど覚えていないが、よく知っているし、よく
覚えている。
男は年齢を重ねると親と話さないが、女子は母親とは、表の事、裏の事もよく話して
いたんだと感心する。
でも、私と妻が出会ったことの記憶が飛んでいた。
妻と初めて出会った写真が出てきた。妹と妻と3人で映っている。
11月27日、私が23歳、妻が22歳、写真では素足にサンダル履き、暖かかったのだろ
う、でも素足にサンダル履きというスタイルは恋人関係でないことが分かる。
初めての出会いで、妹とその友達を気軽に案内したという雰囲気。
事実、お互い、その通りであった。その年の暮れに帰省し、年末から、正月にかけて
結婚の意識がお互いに芽生え、手も握らないまま結婚の約束をする。
後から考えると、妹と妻が関西旅行で私を訪ねたということは運命的な出来事であ
った。
その出来事をあの記憶のいい妹が覚えていないという。びっくりした。
『なんで関西旅行に行ったんだろう。それも義姉さんと・・・』
10月、松山の秋祭りの日に義姉さんが遊びに来ていた。『あの時母親があの娘はいい子
だとしきりに言っていた。』
『母親が二人で通兄ちゃんのところに旅行に行ったら』と暗示に似た指示をしたんじゃ
ないのかしらと妹の推理。
私は母親の期待通り、心が動き、即断即決の結婚に走ったことになる。
本当に親孝行の息子である。また母親の選んだ目に寸分の狂いのない伴侶であった。
妻との50年間の結婚生活、感謝している。
今まで、妹が妻と私の愛のキューピットと思っていたが、真実は母親だった。
妻の事、母親の事、懐かしさがこみ上げる毎日である。

2025.06.06 18:32 | 固定リンク