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東宝ホーム 本社会社案内・IR情報社長の月刊Blog
令和6年9月21日 夢

過日私と同じ妻を亡くした方と話す機会があった。その方は私よりもずっと年下で
奥様もずっと若く、幼少のお子様を残して旅立たれているから、悲しみ、無念さは
私以上で日常を取り戻すあるいは再構築するのに苦労されたと思う。
いや、本音のところではまだ日常が作れていないかもしれない。
一周忌を終え、年齢が相当いっている私さえこれからの日常が作りきれないでいる。
まだ若く、お子様の養育を考えなければならない境遇なら、もっと難しいと思って
しまう。
夢の話になった。
亡妻の夢を見るか?二人とも全く見ないということで一致した。
彼は父親はよく夢に出てくるが、妻は出てきてくれないと言った。
私の方も、妹や亡妻の姪は、『俊さんが夢に出てきた。』とよく報告をくれるが
私には出てきてくれない。
夢でも会いたいという心境だが、一度も出てきてくれない。
浅田次郎の小説、『鉄道員』で幼くして亡くした子供が成長の年代にあわせて、
亡霊となって鉄道員の前に出てくる場面がある。
主人公の鉄道員にとって子供を失ったことがずっと心残りで、後悔を残し、それが
夢の世界で小学校、中学校、高校と成長の姿を父親の前に出現させた。
父親は夢と現実の区別のつかない世界で、その出会いを感激しながら、味わった。
全て、父親の夢想の世界の出来事である。
この小説を読んだとき、それほど感激はしなかった。
高倉健がこの小説を映画化し、映像ではそれなりに感激、感動したが、ただ夢想の
世界の出来事なので、涙が出るほどではなかった。
むしろ、同じ本に収録されていた『ラブレター』という小編の方が感動的であった。

妻を亡くした今、この小説、この映画を見ると涙が止まらないと思う。
最愛の人を失った人の感情は経験した人でないと分からないと思う。
昔は、他人の死は、他人事だった。最愛の人を失った今は、戦争でも災害でも病気
でも亡くなった人に対して、身内であろうとなかろうと『自分事(じぶんごと)』
として考えるようになった。
人の死の残念さ、残された家族の辛さが痛いほどわかる。
持って生まれた寿命の長さは分からないが、とにかく元気で長生きしてほしいと
思う。
殺しあう戦争などもってのほかだと憤りを覚える。

小説では主人公の鉄道員は亡くなる。亡くなる寸前に愛しい人が夢枕に出てくる。
成長の姿を変えながら、父である鉄道員の前に。
私の時はどのような姿で現れてくれるのか。息を引き取る寸前に夢の中に出てくる。
まるで迎えに来るように。
若い奥様を亡くした彼との会話の中で、このように思った。
多分彼も私と同じように思ったのではなかろうか。

2024.09.21 17:00 | 固定リンク
令和6年9月1日 一周忌

妻が亡くなって1年になる。8月25日に緊急入院し、なかなか面会させてもらえず、
9月1日からずっと病室にいてもよいということを告げられ、昼間は妹にいてもらい、
夜は私が泊まり込みで側にいた。
会話もできない半月余りの入院だった。可哀そうな、可哀そうな期間であった。
妻はよく頑張った。看病という看病はできず、奇跡を信じて祈るだけであった。
それから1年、悲しみは薄まることもなく、寂しさは深まるばかり、楽しさという
ワードは無くなり、仕事も生活も、義務感と責任感だけがエンジンになっている。
昔は、責任の先に楽しみという喜びがあったのだが・・・。
相方がいなくなるということはこれほど変わるものかと驚く。
私と同じように伴侶を亡くした方がいらっしゃって、話をすると同じことをおっし
ゃっていた。
妻が健在だったころ、伴侶を亡くした方のお葬式に行き、『気を落とさず、頑張っ
てください。』などと言っていたが、今はとてもそんな第三者的な励ましはできな
い。ただ黙って涙を流し、一緒に泣いてあげることがその人への励ましになる。
『頑張って』などという言葉はもう使えない。
生活には家族の存在がとても大きい。人は自分のために働くのではなく、自分の
身近な人の今の生活、将来の生活を豊かにするために働く、自分一人のためだった
ら、途中で自分都合な理由をつけて挫折する、身近な人のためだったら持続できる。
50数年この仕事をやり続けてこれたのも妻がいたからと思っている。
9月8日に故郷の松山で一周忌法要をして、自分の心に一区切りつけばと願っている。
楽しみというワードが心の片隅にでも生まれてくれば妻も少し安心してくれるかも
しれない。

2024.09.01 10:18 | 固定リンク