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安定した経営と確かな家づくりを続け、
快適な住まいを提供いたします。
妻を亡くした私の事を心配して電話やメールをくれる人が何人かいる。
中でも兄妹の身内は特に心配してくれ、妹は時々千葉から出向いてくれ身の回りの
手伝いをしてくれる。
食事の後片づけ、洗濯、料理など生活必須項目を何とかこなすが、掃除機などは
ほとんどかけない。綿埃など自然蓄積する。でも後回しの末、やらず仕舞いである。
妹がやってきてくれ、隅々の掃除をしてくれ、日常が洗われたように気持ちよくなる。
二人で子供の頃の話をする。私はほとんど覚えていないが、よく知っているし、よく
覚えている。
男は年齢を重ねると親と話さないが、女子は母親とは、表の事、裏の事もよく話して
いたんだと感心する。
でも、私と妻が出会ったことの記憶が飛んでいた。
妻と初めて出会った写真が出てきた。妹と妻と3人で映っている。
11月27日、私が23歳、妻が22歳、写真では素足にサンダル履き、暖かかったのだろ
う、でも素足にサンダル履きというスタイルは恋人関係でないことが分かる。
初めての出会いで、妹とその友達を気軽に案内したという雰囲気。
事実、お互い、その通りであった。その年の暮れに帰省し、年末から、正月にかけて
結婚の意識がお互いに芽生え、手も握らないまま結婚の約束をする。
後から考えると、妹と妻が関西旅行で私を訪ねたということは運命的な出来事であ
った。
その出来事をあの記憶のいい妹が覚えていないという。びっくりした。
『なんで関西旅行に行ったんだろう。それも義姉さんと・・・』
10月、松山の秋祭りの日に義姉さんが遊びに来ていた。『あの時母親があの娘はいい子
だとしきりに言っていた。』
『母親が二人で通兄ちゃんのところに旅行に行ったら』と暗示に似た指示をしたんじゃ
ないのかしらと妹の推理。
私は母親の期待通り、心が動き、即断即決の結婚に走ったことになる。
本当に親孝行の息子である。また母親の選んだ目に寸分の狂いのない伴侶であった。
妻との50年間の結婚生活、感謝している。
今まで、妹が妻と私の愛のキューピットと思っていたが、真実は母親だった。
妻の事、母親の事、懐かしさがこみ上げる毎日である。