スマホが普及しだしてから何年になるのだろう。
電車などで文庫本や新聞を見る人を全く見なくなった。ほとんどスマホを見ているか、
いじっている。
どんな内容を見ているのか、ふと目に留まることがある。漫画であったり、ゲームであったり、ライン
あったり、様々である。
私も時々、メッセージ確認のためスマホを見る。色々な点で便利である。仕事にもプライ
ベートにも時間を無駄にすることなく使える。不明な事もすぐに調べられる。
万能の通信手段兼百科事典兼現在情報検索機器です。
スマホの利用頻度上がるにつけ、人と人との礼節が失われている気配も感じる。
対面して、話す大切さ、表情や態度で相手の心の中をおもんぱかる心の深さ、なにか人とし
ての重要な部分が壊れていっている危険さをスマホに感じる。
マッチングアプリとかで人と出会う。その出会いで事件が起きる。
赤の他人とそんな方法で出会い、そこに危険さを感じないのか、仕掛ける方も悪人だが、
罠にかかる方もどこか間違っていないのか、その人の周辺には対面して話し合える人は
いなかったのか?
理解に苦しむ。昔の歌で、駅で待ち合わせ、時間が過ぎても来ないので、駅の伝言板に先に行くと書いて
相手に伝えるという歌詞があった。
通信手段は超原始的であった。
恋人に電話する時も、彼女の家族に自分の姓名を告げて取り次いでもらう。
手紙も自宅に出す。当然どのくらいの頻度でやり取りがあっているのか家族は全部
知っている。隠れてできればいいなぁと思ったが、今になって思えば、これも社会人と
自立を促した要素かもしれない。
スマホで個人間の連絡が普通になり、突発事件で計画変更になってもすぐさま連絡
できる。便利である。
でも、計画が杜撰になりがち、変更ありきの緩いものになり、精度が悪くなっている。
結局生産性の低下すら引き起こしている。
尚且つ、人とのコミニュケーションが疎になっているため、ヒュウマンエラーが多発する。
便利な物が、不都合なものになっている。
便利な時代こそ、人間性の回復に努めなければと感じる。