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高校2年生の頃だったと思う、自分の夢、希望というテーマで作文を書かされた
記憶がある。
その高校はある程度有名な進学校であったので、多分ほかの生徒は、大学名とか
将来の職業や進む方向などを作文したのでなかろうか。
私は、大学を他府県に行く希望もなく、職業希望もなく、ただ何となく普通に
波風のないサラリーマンでいいと思っていたので、若人にしては夢の無い文章を
書いた記憶がある。
その中で書いた一文だけは記憶している。
明治時代の詩人与謝野晶子の夫である、文筆家の与謝野鉄幹の書いた歌に『人を
恋ゆる歌』というのがあり、その歌詞が好きだったのでそこを取り入れて作文
した。
鉄幹の歌詞は
妻をめとらば才たけて、みめ麗しく、情けあり
友を選ばば書を読みて、6分の侠気、4分の熱
恋の命をたずぬれば、名を惜しむかな男ゆえ、
友の情けをたずぬれば、義のある所火をも踏む
こんな歌詞でした。
私の作文は、鉄幹の歌詞の中で、妻をめとらば才たけて、みめ麗しく、情けあり
の部分を切り取り、賢くて、美しくて、優しい妻と平々凡々、サラリーマンに
なって気楽に暮らしたいという内容だったと思う。
当時は活気のある上昇基調の日本でした。その状況の中で退廃的な文だったと思い
ます。
先生は『夢のない奴やなぁ、こいつはダメだ。』と思ったはずです。
でも私自身は将来の具体的な目標もなかったので、ありのまま、心のまま、小市
民的作文を書いた記憶があります。
家内の遺品を整理していた時、彼女が中学3年生の時に書いていた卒業の一言の
文集を発見しました。
一言ですので、パイロットになりたい、保母さんになりたい、スチュワーデスに
なりたいとか職業的な夢が沢山出ている中で、家内が書いていた一文が表題の
言葉です。
『平凡な事のできる人』
中学3年生にしては非常に大人びた感じがしました。
同じ平凡という言葉でも、私が高校2年生の時に書いた平々凡々という少し退廃的な
内容と全く違い、創造的建設的な響きを感じました。
歳は1歳下ですが、ずいぶんしっかりしていた生徒だったんだと思いました。
私は先生から『こいつは夢の無い、ダメな奴』でも彼女は先生から『この子は
将来どのようになるのか楽しみな生徒』と思われていたのだと思わされました。
事実、彼女と交際し、結婚し、生き方も仕事に対する姿勢も、友人への対応も
変わってきたと思います。知らず知らずのうちに彼女の影響を受けていたのでは
と感じます。
今、自分で彼女の作ってくれた料理をなぞりながら、練習していますが、うまく
いかず、もう一度彼女の手料理を食べたいのが最大の望みです。