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社長の月刊Blog

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東宝ホーム社長 渡部 通です。
毎月2回のペースで更新しますので、是非お読み下さい。

平成29年3月28日 油 断

もう4月、新入社員を迎える時期です。
例年新入社員を迎えて導入研修を行い、最終日にスポーツ大会と歓迎会を実施しています。
昨年のスポーツ大会には見学での参加でした。
ちょうど4月2日の夜、帰宅途中の自転車で転倒し、肋骨にヒビが入り、日常生活に支障をきたし、
スポーツどころでなくなったからです。
それから治りかけた頃、またもや肋骨骨折、鎖骨骨折と相次ぎ、いまだに鎖骨の方は骨が再生
途中で無理な運動は控えていますが、今年のスポーツ大会には出場できるのでは・・・と思って
います。

今から思うとあの時に無理をしなければ、急がなければと反省する事故ばかりです。
慣れからくる油断なのでしょうか?

栃木県で雪崩による事故があり、高校生が亡くなりました。
非常に残念です。
計画した指導者、引率者は大きな責任を問われ糾弾されるでしょう。子供たちのためと思って
やっていることが裏目になり気の毒です。
新田次郎の小説の『八甲田山死の彷徨』、映画『八甲田山』と同じ内容だと感じました。
後から考えると防げた事故。
天候状況は悪いが、今まで10年間は無事故であった。大丈夫。ここまで来たのだから、登山は
中止して別の訓練でもしよう。
悪い状況を認識しながら、中途半端な決断で事故に遭遇。
結果論かもしれませんが、潔く全て中止という決断をしていれば・・・と思ってしまいます。
指導者も死亡された高校生も非常にお気の毒に思います。親御さんのお気持ちを察すると・・・
言葉も思いつきません。

仕事をしていると慣れから来る油断で痛い目に遭うことがあります。
いつも原理原則を意識して、立ち返り、その上で創造性を発揮して突き進む。
創造の定義は、『過去の経験、知識を解体して、それを組み立てなおす。』ということです。
このような作業を繰り返していけばいつも新鮮な活動ができるし、不具合の予防にもなると
思っています。

自分の骨折事故、再び反省です。

平成29年2月18日 【古 稀】

子供に恵まれなかったため、夫婦と犬一匹の永年の生活。
子供や孫の成長を感じないから、世間の同世代とは異次元の世界です。
いつまでも青春。いつまでも新鮮。
先日古稀を迎えました。
古来稀なり、骨董品の極みのような言い方は私には無縁と思っていました。
世間一般的なお祝いを社員たちがしてくれました。
『そんなに枯れた年齢でも、精神でもない。』と言いたかったのですが折角の好意
ですから素直に受けました。

社員には自分が元気で、仲間の役に立っているのならいつまでも働け、年金など
あてにするな、人間は50歳を過ぎれば、60歳も70歳も80歳も全て51歳だと公言
しています。
この言葉は自分にとってずいぶんプレッシャにもなり、意欲の源泉にもなっています。
発展し続ける会社を創り続けるには、どのような精神、どのような方法、どのような
分野・・・いつも考えています。
自分の寿命が永遠であるような感覚で考えてしまいます。
いつか寿命が尽き果てるのでしょうが、事業を考えるときにそのことは全然計算に
入れていません。
本当に自分勝手で能天気だと思ってしまいます。
ただ瞬時に判断や決断ができなくなった時にはすぐに会社を辞めようと思っています。
その時のために優秀な後輩たちにいろいろな経験を積ませ、リハーサルをさせておか
なければと考えています。
これからも困難な試練があるのでしょうが、試練をプラスに変換して事業を行ってゆく
所存です。
以上青年の声ならぬ古稀の声でした。

平成29年1月9日  【トランプ】

新年明けましておめでとうございます。
今年は郷里の松山に帰らず、小倉で寝正月でした。
昨年鎖骨骨折したため、コルセットで肩を固定しなければならず、入浴もままならず、
まして、大衆浴場などにはいけない状態です。
松山に帰るひとつの喜びは、道後の温泉にゆっくりつかりたいということがあるので
今回それが叶いそうもなかったからです。

初詣に行き、おみくじを引く人をよく見かけます。
私は神仏を拝み、先祖は敬いますが、おみくじの運勢とか、今日のラッキーカラーは○○、
方向は○などといういわば迷信的な言い伝えは信じないタイプです。
それでも、ある人が自動車で自損事故を起こし、そんな時の宝くじはよく当たったいう話
などを聞くと、骨を3回も骨折した今年だから当たるかもと思って欲を出し3万円も買いました。
結果は300円が10枚、やはり迷信は確信でありませんでした。
迷信や暦の日よりは神様が作ったものでなく、人が作ったものですからそれにとらわれる
のはアホラシイということです。
自分の欲で昨年末には差引2万7千円の損失でした。

私の母は、迷信、手相、暦の運勢、日和を信じるタイプで、黒猫が自分の前を横切ると一度
家に帰って出直すほどでした。
運勢を描いている暦などもよく見ていました。
昔はそんなことが普通だと思っていましたが、自分が社会で働くようになって結局、成果と
いうのはそのような運勢に左右されないことが分かり、幸運、不運は自分の考え方と行動に
直結するということを経験則的に学びました。
幸運とは運をよくする考え方をする人に訪れやすいという事でした。

本題が遅くなりました。
アメリカの大統領にトランプ氏が就任する予定です。
私は、国の興亡や人の盛衰に興味がありそのような視点で歴史を読んでいます。
先人たちの考え方や行動を参考にしながら、自分の信念形成や行動規範を作ろうと努力
しているつもりです。凡人ですから、死ぬまでに出来ないと思いますし、自己満足の世界で
終わるであろうと思っています。
自分がこうなろうと思っていると他人の観察も鋭くなり、ついついその人の過去、現在の推察、
性格や思考の中心も推測してしまいます。
それらは私の勝手な推量ですから、全て当っていないのですが大まかな全体像では的を得る
ことが多いように思っています。
トランプ氏は過去の皇帝像からすると国を発展させるタイプでなく、滅亡への引き金になるような
人のように思えます。
私の情報は新聞とテレビだけであり、国も違っているのですからこのように言うのはおかしいし、
不遜であると思っています。

しかし、色々な場面の言葉や内容が短絡的です。
指摘された相手が自分に都合がいいことであればものすごくうれしいし、逆であればものすごい
脅しになります。
物事には表と裏があり、利益と損失があります。全て自分の都合がいいことはどこかで反動が
発生するはずで、国が亡び、人が衰える前兆にはこのような現象が起きるように思っています。

日本もアメリカ一辺倒に頼る時期でなくなっているのかもしれません。
防衛、安全保障にしても自分で自立するくらいのことは考えるべきと思っています。
世界に紛争が起こり、広がり、難民が増え、国際連合があっても解決しない、そこが機能しない。
ならば自国の安全は自分の力で守るようにしないと。
隣国の中国、北朝鮮の脅威、韓国の不安定さ、日本の平和ボケも修正する時期のように思って
います。

平成28年12月10日 【 2016年の総括  個人編】

本年も残すところ僅かになりました。
この時期、いつもいつも時間の速さには驚かされます。
何か格別な事を残したかというと未達成感しかありません。
個人的には病院にたいへんお世話になった一年でした。
30代から10年に一回くらいの割合で入院をしています。
60代はなかったと思ったころに左目の視力減退で手術になり無事回復いたしました。
網膜出血によるものだったので、持病の食生活管理の重大さを思い知らされました。
その他、肋骨の骨折とヒビ割れが各一回、左肩鎖骨骨折が一回、心臓ステント埋め込み
手術と入院が相次いでいます。
やはり今までの統計通り、10年の一回は守られたようです。

ある人と生き方について話し合う機会があり、人生には何が起こるか分からん、先が見え
ないのが人生だ。だから自分は『何事も受けて立つ身の不動心』ということを信条の一つに
しているとしたり顔で話しました。
実際その生き方を実践しようと常々思っています。
今、自転車転倒による左肩鎖骨骨折治療中です。治療といっても手術ができないので、自
然治癒ですから、コルセットで固めることしかできません。左足も打撲していますので、歩行
が困難で、特に階段の昇降は支障があります。
ちかぢか心臓のステント手術も受ける予定です。一日も早く全体の健康回復を願っています。
その人に自分の症状を伝えると心配をしてくれているのでしょうが、あっさりと『何事も受けて
立つ身の不動心』という言葉が返ってきました。
一本取られたという爽やかな敗北感とこの言葉は人を勇気づける素晴らしい響きを持ってい
ることに気づきました。友人に感謝です。

来年は今年種を蒔いたいろいろな事業を開始いたします。
今年中にできる限りの身体メンテナンスをして、『青春の70歳』を迎えたいと思います。

来年もよろしくお願いいたします。
皆様もよいお年をお迎えください。

平成28年12月10日 ( 2016年の総括  個人編

平成28年11月6日 人工知能(A I )

最近、人工知能(A I )という活字が新聞紙上を賑わせています。
人工知能が人類を支配するSF映画は過去何本か観たことがあります。
それらは空想、バーチャルの世界であり、現実とはかけ離れたものだと思っていましたが、
どうもその感覚は違っており、人工知能の方が知力も判断力も想像力も人間を凌駕しており、
彼らの指示通りに行動する方が良くなるような錯覚さえを覚えるようなこともあります。
人工知能の仕組みや構造など私のような超アナログ人間には全く分かりません。
機械が自分で判断するなど理解ができません。
ただただ、すごいなぁと落胆に似た感嘆の唸りです。

ずいぶん昔の映画で自動車電話で会話する場面がありました。
個人の会話が移動中でもできるアメリカの上層階級の生活に憧れました。
それからほどなくして、我々の周辺にも2Lの魔法瓶の大きさ位の携帯電話が現れました。
持ち運びは当然肩につるし、ショルダーバック方式です。
こんな大きくて、重いものなど使えるわけがないと思っていましたら、あれよ、あれよと
いう間に小型化し全員携帯するようになりました。
ボタンもなくなり、タッチパネル方式、通話だけでなく文字交信もできる。
地図機能も、時事情報も、写真も、写真の交信も、紙の電話帳は一切不要。
現在では携帯電話がないと生活できない世界になってしまいました。

昔、新入社員のころ、電話は相手が終わるまでは切ってはいけない、受話器はガッチャン
と切らない、そっと置く。
今ではそんなことはお構いなしです。日本はおもてなしの国と言いながら、日常の心配りの
気持ちはすたれていっています。
携帯電話を静かにシャットするようなことはできませんし、相手の気持ちを考えながら
電話を切るような配慮はありません。
機械の進化によって日常も人の気持ちも変化しています。

人工知能が進化してゆくと同様のような事例が、色々な場面で現れてくるのでしょうね?
何となく寂しい気持ちです。
超進化した文明は、既存文化を変質させ、価値観を変えてしまう。
このままでいいのだろうか?と思います。

華やいだ春、入道雲の夏、満月とススキの秋、星空の冬、季節の変化に色々な思いをはせる。
自然の移ろいに感情を投影させる。
もっと深い思いやりや配慮がある。
孔子の言葉に  『恕(じょ)』という言葉があります。
「自分にしてもらいたくないことは、他人にしてはいけませんよ」という気持ちを表す単語です。
良好な人間関係を築くための基本になる考え方です。
人工知能がますます発達すると、自然に対する、見方、感じ方。人に対する接し方、配慮の
表し方・・・違ってくるのではなかろうか、今以上に殺伐とした世の中になってしまうのでは・・・
そんな危惧を抱きます。
恕という言葉が死語になってしまうのでは・・・・。
進化する文明よりも退歩する文明の方が、より高度な文化を創造するような気もしています。

平成28年10月21日 仕事

忙しさにかまけてブログ入稿をしない間にすっかり秋色になりました。
それどころかあと2ヶ月もすると新年です。
本当に速いものです。
私と同年代の人はほとんど仕事をしておらず、悠々自適か、窮々自適の生活をしています。
どちらもそれなりの人生の楽しみ方を満喫しているはずです。
どちらも時間はたっぷりあり、その消費の仕方に個性が出て、楽しむ方もいれば、退屈で
仕方ない人もいらっしゃると思います。
私の方は幸か不幸か、時間が足りなくて朝から晩まで駆け足状態です。
元来ゆったり自然とともに過ごすという性格ではないので今の状況に満足しております。

仕事は日々変化し、それに素早く対応し、起きるべきことを予測して先手先手でやっていか
ねばならないし、少しでも安心すると、こぐのを止めた自転車のように転んでしまいます。
こぎ続けなければならないのです。
『いつまでもよく続くなぁ』と友人たちから、感心したような、あきれような感想をもらいます。
自分はいつも仕事上のいろいろなことを考えるのが好きですし、世の中の出来事や人生
的な教訓も全て仕事に結び付けるような習慣になっています。
昔、木村先生というマサチューセッツ工科大学で教鞭をとられた方の講演を聞き、思考の
品質や行動の品質を高めるには仕事に結び付けて考えるということをお聞きしました。
思考を行動に落とし込むには、5W1Hで行うということもお聞きしました。
興味があったものですから、2回受講しました。
私の思考方法はその方の影響が多分にあります。
そのような思考をすると仕事がますます面白くなってきます。
不思議です。面白いと苦痛にならないのです。
私の周囲にいる人には苦痛を与えているかもしれませんが・・・。

今も現在の仕事が広がる挑戦をしています。
地域的な広がりとターゲット的な広がりをやってみようと取り組んでいます。
また、住宅を別の視点から訴求できないか考えています。
それによって社員がさらに会社に夢を感じてくれればいいなぁと自分自身も夢を抱いています。
夢が具体化したら皆さんにお知らせしたいと思っています。

平成28年9月2日 モンゴル

酷暑、猛暑、激暑 これらの言葉以上の今年の夏でした。
秋は訪れるのだろうか?と思いました。
それでもお盆を過ぎると夜にこおろぎの鳴く音が聞こえました。ただ心なしか例年より
声が小さく、虫たちも自分たちの出番に戸惑っている様でした。
ところが台風のもたらすひと雨、強風でたちまち秋になりました。
湿気が取り払われ、風は爽やか、空気もきれいに見えます。
秋が一番好きな季節です。

今日仕事関係の人の来社があり、モンゴルに行った話をお聞きしました。
首都のウランバートルはすごいビルラッシュで元気を感じると同時にバブル的不安がある。
朝青龍や大相撲で日本で活躍した力士はモンゴルに帰ると政治家や実業人として大活躍で
自分の名前を冠にしたビルなどを持っているとのことでした。
小さいころから日本語を勉強し、いつか日本に行きたいとあこがれを持っているらしいです。
日本大好きといわれるとうれしくなります。
今中国が南シナ海での横暴や東シナ海、尖閣諸島での振る舞いには憤り、北朝鮮の
ミサイルにも怒りを感じていますので、モンゴルの日本びいきは事のほかの喜びです。
宿泊は一般的なホテルもあるのですが、モンゴル現地人の住むパオに一泊したらしいです。
たぶん体験宿泊だと思います。、清潔好きの日本人では絶対暮らせないと言っていました。
感動したのは夜空の美しさ、満天の星、速く流れる流れ星、ゆっくり流れる流れ星もある。
上を見上げると周囲にはなにもない満天の空そしてそこに輝く無数の星。
素晴らしい光景です。観たい、体感したいと思いました。
この星空は魅力です。我々の暮らす街なかに星空が無くなったのです。
夜が明るくなった、夜間営業の職種が増え、生活が便利にはなった。しかし、星空が無くなった。
空を観る習慣さえ無くなってきている。
空を観て明日の天気を予想したり、月の満ち欠けでいろいろな思いを感じたり、なにか情緒が
あったのですが、夜空が無くなって上を観る習慣が無くなり、人のゆとりも無くなっているよう
です。

今年の夏はまだ夏休みをとっていません。
モンゴルまでは行けませんが、どこか星空がきれいな所に行きたいものです。

平成28年7月28日 向う三軒 両隣

小学低学年の頃、今から60年前。
60年前という言葉を聞くと我ながらゾ~ッとします。
50年が過ぎたというより100年が近いという感覚で自分が妖怪かなんかになっている様な
言葉の響きです。
その頃は、他人からもらい物をいただくと母親の言いつけに従い、近所の人におすそ分けと
いう形でもらい物を配って回りました。
逆に近所人からもおすそ分けをいただきました。
釣りに行った時も魚を配って回りました。
近所の家の間取りは大体分かっていましたし、家族構成や家庭環境もほとんどオープンだっ
たように記憶しています。
また、1年か半年かに1度は警察(交番)の巡査が来て、家庭調査をしていたように思います。
近所がそれぞれオープンだったように地域全体も分かりあっていたように思います。

いつのころからか、プライバシイーという言葉が定着し、個人情報保護が憲法の上を行くような
風潮になりました。
『個人』の尊厳が第一で、それを犯すととんでもない刑罰が待っている。
相手に関わり合うと被害に関わることもあるから、見てみないふりをする。相手に関心を持た
ないようにする。
個人の集合が全体であるから、個人は大切に、侵してはならない。たとえそれが暴力団
であっても・・・。

昔、小学校でも中学校でも殴る先生はいました。
全体調和のため、規律を正すため、躾のため・・・暴力教師もいたかもしれません。
しかし、私の記憶では、先生が悪かったのではなく生徒の方が悪かった方が多かったような
気がいたします。
今は、手を出すと世間から叩かれるから見て見ぬふりをする。
話し合う場合もあります。でもそれはドラマの中の感動シーンだけです。
現実の話し合いは、相手を理解せず、こちらの主張のみをいう喧嘩に近い形になる。
民主的にすべてがうまく行かない。殴り合いがあるくらいの議論がある。
その時は分かりあえなくても将来お互いが分かりあう、理解する時期が来る。
私は見て見ぬふりをするより、喧嘩するくらいの方がいいのではと思っています。

プライバシイーに恐れおののいて他人に関心を寄せないより、周囲の人に関心を示し、
社会の善悪について判断を話す。
昔の環境の方が社会的にはすいぶん完成度が高いと思っています。

世界ではテロが、日本国内では凄惨極まりない事件が勃発しています。
勃発とたまたま起きたという言葉でなく、凄惨な事件が常態化しています。
他人の目を意識していればもっと少なかったはずです。
我々が周囲に気を配り、是は是、非は非という判断をその人に発信していれば未然に防げた
と思います。
『向う三軒、両隣』的関心の示し方、警察(交番)のあり方ももっと人間らしい方法に立ち返ら
なければなりません。
個人の保護は全体幸福の中で制限されることも必要であると感じています。
人間は社会的動物であり、全体の中の個人である考え方が大切です。
個人の集積が全体、社会であるというのはあまりに利己的すぎると思っています。
良き社会を創るため、個人の保護はある程度制限されても仕方ないと私は考えています。

平成28年6月30日 始皇帝と大兵馬俑展

今月もアッという間に月末です。
ブログを書かなければ思いながら、月末まで手つかずの始末。
いくつかの話題はあったはずなのに追い込められるとテーマに四苦八苦です。

九州国立博物館で首記の展示会がありました。
早く行きたいと思っていたのですが、なかなか時間が取れず、展示会が6月12日までだったので、
6月8日に時間を作って見学してきました。
中国の歴史の中では古代中国の話、とりわけ春秋戦国時代から秦の中国統一そして秦の国が滅びた
後の楚漢の争いを通した漢の国の建国にはたいへん興味があります。

昔、司馬遼太郎氏の作品『項羽と劉邦』という小説を読み、その本から古代中国の歴史に興味を持ち
始めました。
国の興亡、人間の盛衰など参考になることが多く、自分の生き方や会社の経営に活かしているつもり
です。

秦の始皇帝は歴史的評価は、万里の長城を造ったなどがありますが、概して高圧的で庶民に圧政を
強いた強君、暴君的イメージがあります。
焚書坑儒などその最たるもので、自分の不利になるものは焼き捨てたり、殺したりする。
民主的ではなかったと思います。
しかし、戦乱の世を統一して中国全体をまとめるには民主的な君主ではできなかったと思います。
超ワンマンで意志が強く、喧嘩(戦争)にも強い。そうでないと創業の国家建設は不可能だったでしょう。
紀元前200年以上も前、日本は弥生中期、まだ竪穴式住居に住み、やっと稲作が根付きつつあり、色々
な農耕作業が石器で行われていた頃、中国の秦では精緻な金属器具が作られ、殺傷能力の高い金属
武器で戦いがおこなわれていました。
展示会ではその当時の文明の高さが、武器や生活道具、儀式の飾り物、そして始皇帝陵にある兵馬俑
などにあらわされていました。
また始皇帝は中国統一のために度量、重さや長さなどの単位の統一、貨幣の統一、文字の統一をしま
した。
これはすばらしい発想だと感心いたしました。車の幅も統一しているのです。
売買や税の徴収、街造りなども合理的になり、生活の無駄もなくなり、評定するときも
不公平感が少なくなる。
国を統一するということはこのような作業が必要なのだと勉強になりました。
自分の好奇心を充足してくれるなかなか秀逸の展示会でした。

展示会や美術館にいく時は必ず、音声説明のイヤホンを借ります。今回の音声ナビゲーターは当社の
イメージキャラクターの壇蜜さんだったので何となくうれしくなりました。

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