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社長の月刊Blog

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東宝ホーム社長 渡部 通です。
毎月2回のペースで更新しますので、是非お読み下さい。

平成30年6月14日 映画

この数ヶ月、仕事が忙しく、ブログも書けず、申し訳ありません。
先きの休日、仕事を離れ、2日間連チャンで映画を観ました。
ひとつは、是枝監督の話題になっている『万引き家族』、もう一つは
『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』です。
どちらも面白く、必見の映画です。
『万引き家族』は、血縁だけが家族なのかということを問う映画です。
折しも、5歳の女の子が両親の虐待で幼い命を奪われ、その子の書いていた日記が日本中に
悲しみと怒りの衝撃を起こしました。
この事件では父親とは血縁はなく、母親だけです。父親の虐待に母親が目をつぶり、むしろ父
の手助けをする。とんでもない環境です。
日記には子供の悲痛なお願いが書かれ、5歳の子供がここまで追い詰められ、許しを願って
いる。
とんでもない親子です。血縁だけが家族でないことを知らされました。
映画ではみんな貧乏で、その日暮らし的な収入の糧を得て、共同生活をしている。
この経済力で共同生活者の団結が守られているのも不思議ですが、お互いがそれぞれを
理解しており、それぞれが狡くない。共同生活者の尊厳を認めている。それが家族なんだと
いう感じです。
信頼、信用という信という核で結びついている。
もう一度家族について考えないといけない、時代が変わった、仕方ないと簡単に済ませる
問題でないと思いました。

もうひとつの『妻よ薔薇のように  家族はつらいよⅢ』
山田洋次監督の『男はつらいよ』の姉妹版です。
さすが、山田監督、おかしくて、面白くて、娯楽性最高、そして家族特に夫婦の在り方について、
反省させられ、笑いあり、涙あり、素晴らしい作品です。
夫婦の間で意地の張り合い、欠点のあげつらいあい、争いの治め方、たいへん勉強になり
ます。
ストリーの流れのテンポもよく、笑と涙が短い間隔で押し寄せます。
みんな芸達者、それぞれが味のある演技しています。

私としては、この『家族はつらいよⅢ』の方がお奨めです。
映画は娯楽性とハッピ―エンドの方がうれしくなります。
寅さんの映画も寅さんにとってはいつも失恋でしたが、その次に向かうエネルギーがあり、
我々にも よっしゃ 次は頑張ろうというやる気を与えてくれます。
映画はこのようなものが最高です。

平成30年4月16日 管理職

今年も近所の桜見物だけに終わりました。
数年前、京都平安神宮中庭のしだれ桜に訪れて以来何とかスケジュールを調整して、その場所
を再訪したいと願っていますが、今年も叶わずでした。
新入社員研修、レストランのオープン、通常業務、時間が全く足りない状態です。
一般の管理職(社長含む)は比較的余裕のある時間管理をしているように見えるのですが、私
の場合はいつも時間余裕がなく、フル回転です。
段どりも作業も遅くない方だと思っているのですが、時間が足りない状況です。

40歳代頃から、国の興亡、会社の繁栄と衰退、人物の成功と失敗のことに興味があり、それら
を勉強することで自分の生き方に取り入れるところは取り入れて生活をしています。
有終の美という言葉があります。
有終の美を飾る人生は、自分が傲慢にならないこと、謙虚さを失わないこと、周囲に感謝し、
相手の短所に目をつぶり、長所を評価する事・・・こんなことが書いてあったのを記憶して
います。
気を付けているのですが、まだまだできていないのではと、思っています。
人間という動物は、自分の評価を自分でしたがります。(犬にはありません。)
自分はこのように貢献した、偉いんだということを言いたがります。
しかし、自分の評価は他人がするもので自分でするものではありません。
傲慢とかという言葉には自分行動を自分でよい評価をしている背景があり、このタイプの人
は有終の美を飾りにくいそうです。

会社員生活をしていると徐々に位が上がり、管理職という立場につきます。
自分に部下ができ、彼らを管理し、彼らを活躍させ、営業成績を向上させる立場、この
ように管理職は理解されています。
その通りです。
しかし、管理職に登用されたとたん、部下を顎で使い、権限の悪用をする人が多いようです。
アメリカの大統領、中国の国家主席、北朝鮮、我が国の高級官僚たちも国家の管理職の
面々です。
管理職たちがセクハラ、パワハラ、相手国に対して理不尽な行動をする。
傲慢以外の何ものでもありません。
管理職は部下や国民を管理する立場でなく、部下や国民から毎日監査を受けている立場だと
考えたらどうでしょうか?
実際、部下や国民は、その会社のトップ、その国のトップの動向を24時間体制で観ているの
です。
トップが働かずに遊んでばかりいたら、自分の仕事のできない言い訳を管理職のせいにする
はずです。
国家主席でも同じです。
トップは人一倍働き、人一倍勉強し、人一倍知恵を絞らなければなりません。

トップは部下からいつも監視され、監査を受けている。
このような姿勢が大切だと思っています。
日本の官僚の不祥事をみたり、某国々のトップの対応を見るにつけ、自分もあのように
ならないように律しています。

平成30年3月5日 カフェ&レストラン

3年ほど前城野北口のURの土地の入札があり、当社が落札いたしました。
分譲地にして販売する方法もあったのですが、会社の将来のために活用したほうがよいのでは
ないかと思い、活用することといたしました。
事務所と宿泊展示場はすぐにとりかかりました。残った土地の活用策をあれこれ検討し、
住宅とは直接結びつかない『食』の分野で検討するのが良いのではという結論に達しました。
『食を極めれば、住まいに通じる。』という自分勝手とも思える論理を作りました。
住まいを造る時に重要な部分はキッチンであり、家族だんらんのダイニングであり、食育を通じ
て、家庭教育の完成度は増してくると思っていましたので、『食と住』大きく関係してるという信念もあり、住宅会社が食の分野をすることは的外れではない。社会のためにもなるはず
と自分の考えが徐々に確信に変わっていきました。
食の部分のどの分野で事業をするのか・・・いろいろと研究、検討し、社員にも自分の考えを披歴し、分野研究を手伝ってもらいました。
結局、ある場所で食べたスープカレーが面白いという結論を得、そこと共同経営を持ち掛けま
したが、体よく断られ、全て自己開発しかないということになりました。
しかし、ここからが人生の面白い所で、色々の人が集まってきてくれたのです。
それも人格的にも技術的にも超優秀な人たちが集まってくれたのです。
シェフ、パテエシェ、事務方の人、自分の不思議を感じます。
調理研究、試作、改良、試食何回となく実施いたしました。
どの店の料理にも負けないものが完成いたしました。

建物も当社の技術とデザインの最高の物ができたと思っています。
当社の設計陣もコーディネーターも素晴らしいと感激しています。本当に感謝です。

いよいよ3月24日、『カフェ&レストラン  えすと』が
城野駅北口  BONJONOにオープンいたします。
『えすと』とはフランス語で東という意味で、当社の創業者であった『東 精男』の功績をいつ
までも後世に引き継ぐために命名いたしました。
『えすと』の『す』の部分は大きく○で造形デザインし、人の縁のつながりを表すようにいたし
ました。
食の素人が始める、食事業、素人がやるからお客様から喜んでいただけると思っています。
一度ご来店ください。

平成30年1月13日 〇〇ファースト

新年明けましておめでとうございます。
このような挨拶が通じない、もう1月も中日(なかび)。本当に速いものです。
今年の抱負を述べるよりも早く時が過ぎ去ってゆく感じです
昨年やり残した仕事を完璧に納め、取り掛かっている仕事をスタートさせないといけません。
頭と体が高速回転しています。
時間が十分にある時に新しい仕事に取り掛かるべきという人もいますが、私は多忙なときに
仕事を重層で完成させるものだという考え方です。
忙しい時に失敗する確率と時間に余裕がある時に失敗する確率を比較したら、たぶん暇な時の
方が多いと思います。
先日、沖縄でアメリカ軍ヘリコプター不時着が相次ぎました。
ある大学の先生がアメリカ軍が忙しいからこのような事故が起きると言っていました。
的を得ているような評論ですが、私は全く逆で、アメリカ軍の国に対する忠誠心が少なくなって
いることが真の原因じゃないかと考えています。
つまり、気持ちがだれているのです。
時間的な余裕もあるはずです。
この現象はどうして起きるのか。
たぶん大統領のアメリカ・ファーストという理念がアメリカ人の誇りを失わせている。
どの国も、どの人も自分ファーストと考えるのは当たり前ですが、それを口に出し、他の人に
威圧を掛けるようにならば自尊心やプライドは地に落ち、国民の意欲は減退し、誇りが無くなり、
その結果、だれて不具合事項が続発するのではないでしょうか。
○○ファーストという言葉は近視眼的にはその国、その地域の人が得するような考え、響き
ですが、そのような短絡的考え方では全体の支持がなくなります。
そして、最終的に損もするし、悪くなれば信用を失い立ち直れなくなる。
たらいの水を集めるのに、手前に手繰り寄せれば水は脇から逃げてゆきます。
手前から向こうに押せば手元に水が帰ってくる。
商売も政治もこのような理屈があると思います。
自分の欲得だけでなく、相手との調和、共存が大切です。そこに個人の誇りも生まれる。
アメリカに終わりの始まりが始まったのではないかと心配しています。

平成29年12月3日 チームワーク

今年も残すところ僅か、時間の速さにはいつも驚かされます。
驚くということは、自分が健康の証しで、もし、余命宣告を受けていたら、時間の速さに
驚くよりも時間の尊さに感謝していると思います。
こんなことを考えるといかに時間の無駄使いをしていることか、もっと内容の濃い時間が
過ごせなかったか、反省しきりです。

平成の年号でお正月を迎えるのはあと2回だけ、よき新年を・・・迎えなければなりません。
余命宣告を受けて前向きに生き切った、ラグビーの平尾誠二さんの本を読みました。
実際は平尾さんが書いたのでなく、彼と親交の深かったノーベル賞、ips 細胞の開発者
山中先生と平尾さんの奥様の恵子様の共著の『友情』という本です。
余命宣告を受けてからの事柄がお二人の視点から書かれ、胸を打ちました。
孔子が、弟子から『先生、死ぬということはどのような事なんでしょう?』と問われた時に、
孔子は『まだ、生きるということも知っていないのに、死ぬことは分からない。生きるという
ことを勉強しないといけない。』と諭したいう寓話を聞いたことがあります。
平尾さんは余命宣告を受け、死を意識していたと思うのですが、文面の中では死より生に
ついて考えていたような感動を受けました。
死がまじかに迫っていても生のみ意識していたようです。
ただ、生きながらえようという事でなく、生産的、建設的な意識をずっと持ち続けて明るい
イメージを感じました。
いかに生きるかという事を追及してゆくことが、正々堂々とした生と死が与えられる重要事項
のように思われました。
孔子は弟子にこのような事を伝えたかったのではないでしょうか?

本の中で、平尾さんと山中先生の対談記事が載っておりました。
チームワークについて語られた部分に目が釘付になりました。
平尾さんは花園高校、同志社大学、神戸製鋼とラグビー日本一の連覇、連覇を達成し、日本
のラグビーの地位を高めたカリスマです。
彼のチームワークの定義は次のような事でした。
日本でチームワークというと助け合いという美しい言葉で語られるが、自分(平尾氏)はチーム
ワークとは各個人の自立だと断言していました
助ける様な人がいるチームは絶対に勝てない。各個人が自立し、その立場、場所、役割に
応じた働きを完璧にする。これがチームワークだと熱く語っているのです。
ラグビーは団体競技にように思われているが個人競技的色彩が濃い。
個人が自立しているからチームワークが取れている。
なるほど、我々の仲間を助けるという感覚の甘さを思い知らされました。
フロックで好成績を上げることはあります。
それを連続するには、このような心の背景があるわけです
私は、平尾さんよりずいぶん年上ですが、教えられました。
まだまだ修行しなければなりません。

平成29年11月4日 スマートフォン

以前のブログで、旧携帯電話からスマートフォンに切り替えたが、使い勝手が悪くて
元に戻したということをお知らせした記憶があります。
旧携帯電話のことをガラ携というらしいです。
進化が止まっているガラパゴス諸島をもじり、進化の遅い旧携帯電話をそのように
読んでいるらしいです。
この言い方はガラパゴス諸島にいる海イグアナに悪いと思っています。
会社支給の携帯はスマートフォンで、個人用の分はいまだにガラ携です。
今のスマートフォンも通信とメーッセージ位は使えるようになったので、個人用もスマホに
替えることは可能なのですが、まだまだ故障しないので使っています。
携帯電話が普及するようになって、色々な事件が起きています。
IS国のテロの広がりにも悪用され、最近日本で起きている猟奇殺人事件でも携帯電話の
悪用があります。
携帯電話で交信さえしなければ、9人もの人が事件の被害者にならなかったはずです。
自宅の個人電話なら、家族も注意したであろうし、家族間の会話もあったと思うのです。
通信手段が便利になるにつれ、コミニューケーションが深まるどころか、希薄になり
人間関係、人情関係が無くなり、周囲のチェックもなく、蚊を殺すような感覚で人が殺され
ています。しかもバラバラに解体され、悪魔のような仕業です。
文明の進化は文化の退化を伴うということを何かの本で読んだことがありますが、人類の
感情、感覚、道徳を包含した文化がガラガラと朽ち果てているような気がしております。
知識もスマホから簡単に得られます。みんな博識家になれます。
こんな状態がいいのであろうかと疑問を感じます。
みんな器用になり、知識人ぶる。こんな日本人だけになっていいのであろうかと危惧
しています。
せめて自分の周囲にいる人間だけでもスマホだけに頼らず、不明なことを深く追求し、
物事の真相の部分を知ろうと努力するようになってもらいたい思っています。
そのような姿勢で経験を積めば、色々な局面で応用ができる人間が育つのではと
思っています。
『何事も受けて立つ身の不動心』という言葉があります。
窮地になっても、真の知力と胆力があれば、オドオド、慌てふためなくてもよい。
何とかなる。
このような心構えはスマホからの知識習得ではできないと思っています。
SNSとかツィッターとかインスタグラムとかラインとかない方が社会全体が豊かで、周囲に
対する尊敬や恥が存在し、周囲にも思慮深く、優しくなる気がしてなりません。

お前は古すぎる。自分の価値観だけを押し付けるなとみなさんから非難を受けるかもしれ
ません。

平成29年10月14日 品  質

30年ほど前、QCとかTQCということが事業の世界でよく言われました。
品質向上のための小規模集団活動で、みんなが品質を意識する、品質向上を目指すことで
事業の売上増や発展に寄与しようとする運動でした。
品質には、商品品質もありますが、顧客との対応品質、接客品質、デザイン品質、設計品質・・・
いろいろなものがあります。
いや、全ての考え方や行動に品質の冠をつけることができるほど多岐にわたります。
最近の偽装事件、神戸製鋼、日産自動車、三菱自動車、東洋ゴム、東芝、タカダ、中小の会社
まで含めると限りなくあったような気がします。
品質と偽装は対極にある言葉で、高品質を目指していれば偽装などの発生はないし、社内牽制
も効いているはずです。
いつの間にか、品質向上運動、QCという言葉や活動が事業から無くなり、代わって見つからな
ければ、よいという悪の風土が発生し、悪貨が良貨を駆逐していったのでは・・・と推測します。
QC活動の基本理念は次の工程の人がお客様という考え方です。
次の工程の人のやり戻し作業を無くする、より効率的で高精度の仕事をしてもらうため、現作業
の品質をどのようにすればいいのか、それをそれぞれの部署で考えようという運動でした。
最終のお客様はエンドユーザー、消費者ということですから、消費者の最高の満足のために
供給側はどのような姿勢で、どのような行動をすべきかということを日本全国の会社が研究、
実践していったのです。
この運動で、日本の製品は良い、安心できるという歴史ができました。
また社員も仕事に誇りを持ち、地位とかに関係せず、自信に溢れていました。
我々はこれを実践していってくれた先輩のおかげで今日を生きています。
しかし、いつの間にか、偽装環境が横行し、安心、信用、信頼の文字が日本から消えていった
のです。
会社内では消費者はそっちのけで自分の社内出世競争だけが重要事項になっている結果、
このような偽装が日常になり、だれも咎めなくなった気がしてなりません。
最終目標は顧客の最高満足ですから、どの部署も、個々人も次の工程の人がお客様、最終の
お客様は消費者だと思う気持ちを再度徹底しないと日本国は自分で自分を滅ぼしてしまうという
危険を感じます
また、品質を難しく考えるのではなく、笑顔品質、挨拶品質、電話品質、手紙を出す日時品質、
このような身近な品質から考えていけば、商品品質、営業品質、設計品質、デザイン品質など
事業に結びつくようになっていくと思っています。
そして、その最終形は人間品質になり、礼儀正しくて、周囲にはいたわりがあって、できる範囲
で人を助ける。
事の善悪をハッキリ指摘できる、中途半端でなく大胆な活動もできる日本人にならなければと
思っています。

平成29年9月21日 赤 秋(せきしゅう)

9月の初めに『懸念』という表題でブログをアップしたつもりでいました。
最近勃発するテロと北朝鮮問題について私見を述べてものでした。
しかし、内容が政治的すぎるのでは・・・という懸念から担当者のところで
止まっており、掲載されていないことを今日知りました。
改めてブログを書いてほしいとの依頼がありました。
社長のブログさえ担当者の判断で据え置かれるということは、社長の威厳が
ないのか、民主的なのか判断の分かれるところでありますが、私は社員が
全社のことを考えて、自分の意見を述べてくれたことにうれしさを感じました。
社長はある程度ワンマンでないと務まりませんが、ワンマン度が過ぎると
反発を買い、社員の信頼と尊敬を失う危険があります。
今回のブログは仕事の姿勢などに言及したものでなく、国際政治の私の見解
を述べたものでした。考えてみると世の中で立場の違いから賛成、反対が
あり、会社的には適正でないと判断し、急遽このブログになったわけです。



先日、仲代達矢さんの仕事の姿勢をドキュメントしたテレビが放映されていました。
途中から観たのではっきりしませんが、10数年前の作品でした。
彼の寝室が映し出されそこに亡くなった奥様の写真と骨壺が置かれていました。
彼が『もうそろそろ納骨したあげないと…。』とつぶやきました。
7月に松山に帰った時、亡くなった友人の骨を7年間納骨せずにいた友人の奥さんの
姿がダブりました。
あぁ、この仲代達矢ご夫婦もお互いが尊敬しあっていたと感じました。
愛し合っていたというより、お互いがそれぞれを認め尊敬しあい、精進しあっていた。
人間を磨き高める刺激を受け合っていたという事実を直感しました。
素晴らしい、その奥様の宮崎恭子さんという名前です。仲代達矢さんに遺書を残して
いました。
冊子のようになっていましたから、日記の延長のような遺書です。
多分、余命宣告を受けて書き綴ったのでしょう。
自分が先立つ不孝をわび、今後の生活から、仕事のこと、再婚する時の注意、・・・
聞いていて奥様の真情が伝わり、うるうるときました。
それを受け止める仲代さんの純情 純真な男らしさ。
素晴らしい夫婦だったと思いました。
その奥様が仲代達矢さんに『赤秋(せきしゅう)』という言葉を贈ったそうです。
秋のことを白秋と言います。
霜が降り、寂しさが漂う、人生の終盤、なにかも悟って、なんの欲も なんの希望もない。
そのように枯れた人生の終わりころを『白秋』と言います。
夏は『朱夏』といって人生の活発で華々しいころを言います。
その『朱夏』を終え、秋になり白秋とならず、もっともっと希望にあふれ、夢実現に奔走する。

そのようになってほしいと『赤い秋』という言葉を仲代氏に贈ったのだと思います。
『赤い秋』  『赤秋(せきしゅう)』     素晴らしい言葉です。素晴らしい発想です。
この言葉で仲代達矢さんの老後の活躍が始まりました。
私も『赤秋(せきしゅう)』という響きに勇気をいただきました。
宮崎恭子さん、ありがとうございました。

平成29年7月26日 格好いい生き方

高校時代の部活動の仲間が久しぶりに会おうという計画が持ち上がり、7月21日から
7月23日まで松山に帰ってまいりました。
高校時代剣道部に所属し、同期は4人だけでした。そのうちの一人は7年前に他界し、
彼のお墓参りを兼ねて仲間で一杯飲もうということになりました。
かねがね瀬戸内海を船を使わず、自分の足で帰りたいという願望を持っていましたので
この機会に自転車で帰ろうと決めました。
考えてみると、独身時代の帰省と仕事での出張の一人旅はありますが、それ以外では
初めての経験です。
距離は80キロ。
二日間で走破するのですから、何とか行けるという計算です。
この暑さで、年齢が70歳、一人、過去にも転倒で骨折している、無謀すぎると家内と
家内の友人たちに止められましたが、『大丈夫。』と言って決行しました。
21日6時25分の新幹線こだまで新尾道まで行き、そこで自転車を組み立て出発です。
道路にはブルーの線が引いてあり、道に迷うことはありません。
今治まであと○○キロメートルと表示があります。
誰も頼る人がいない自力走行ですから覚悟はしているものの、この表示は精神的
バックアップになりました。
しまなみ海道を走行してゆきます。高速道路を走れるのはブリッジの所だけ。島に
下りると島内の一般道路走行です。
高速道路のブリッジは山の頂上あたりにありますので、入口まではひと山登るという
感覚で、たいへんなきつさです。
一日目大三島まで行き、そこで一泊、二日目今治まで同じような高低差のある道路を
フーフーいいながらなんとか到着しました。
たいへんでしたが、やり遂げた達成感、この年齢でも心の心棒が一回り大きくなったような
充実感を感じました。

翌日、他界した仲間のお宅を訪問しました。
奥様から、彼の病気のことや最後の状況などお聞きいたしました。
癌で声を失い、普通なら自分の運命を呪い、失望するところですが、いつも前向きに、周囲に
心配をかけず、むしろ周囲を元気づけたという印象のお話をいただきました。
高校時代から、物事に動じず、マイペースで、仲間を明るくするユーモアを持っていましたから
私たちのイメージ通りの病後生活を送ったんだと思いました。
奥様は6年間納骨せず、彼と一緒に暮らし、いよいよ7年になる時、今のままではいけないと考え、
やっと納骨されたそうです。
ご夫婦の絆の深さを感じ、感銘いたしました。
そして、奥様が『私の主人は生き方が格好良かった。』と言われました。
声を失ってからも、自力で声を出す訓練を続け、日本一の表彰を受けるほど、練習し、同じような
病気の人を講演し、励まし、逆境を元気に、陽気に乗り越えていく姿が格好良いと言ったのか、
それ以外の生きる姿勢が格好良いと言ったのか、具体的なことは訊けませんでした。
ただ、他人との比較の中で自分を評価するのではなく、自分の道を自分の価値観で步き続けた
高校時代の彼の姿が想い出されました。
奥様は彼のすべてが格好良いと言われたんだと思います。
『私の主人はいい人だった。』『優しい人だった。』
このような話はよく耳にいたしますが、奥様から『生き方が格好良い。』こんな賛辞をもらえる
なんて、男として最高です。
私の家内ならどのように言うのか想像しました。
『あの人は、好きな事をして思い残すことはなかったと思います。』
さしずめこのような言葉かなと思いました。

平成29年7月4日 磯田 道史 氏

テレビの歴史について語る番組に磯田氏が時々登場します。
知識が広く、深く、いつも驚嘆する事ばかりです。
彼は自身で古文書を読み、その当時の状況に合わせ解読してゆきます。
私共はふつう言われている通説に従って意味を知るだけなのですが、原文のままの古文書を
読み、突合せその当時の真の状況を推測してゆくのです。
我々の日常の新聞のように古文書が読めるらしいのです。
図書館、元庄屋などの古民家、寺社仏閣に残っている古文書、あるいは城郭などに保管され
ているもの、これらを解読するらしいです。
たぶん英語を読むよりも難しいと思います。
この作業に裏打ちされた知識が、見識となり視聴者の驚嘆を誘うのでしょう。

彼の著書に『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』  というのがあります。
司馬遼太郎は我々の年代の人なら、一番好きな作家ですし、みんな何冊かは読んでいます。
司馬氏の本で、痛快になったり、生き方を考える機会をもらったり、しているはずです。
私もその一人です。
司馬氏の本を小説として楽しんできましたが、磯田氏の『司馬で学ぶ日本史』を読んだ後
もう一度この本を傍におきながら、司馬作品を読んでみたいと思いました。
小説的な楽しみ以上の感動があるのではないかと思いました。
歴史には明日へのヒントがたくさんあり、生き方の軌道修正の教本的要素があります。
次回読む時にはもっと深い読み方ができる様な気がいたします。
『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』    この本はお奨めです。

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