東宝ホーム社長 渡部 通です。
毎月2回のペースで更新しますので、ぜひ、お読み下さい。
| 平成24年4月24日 お引渡し式 |
私どもの会社では竣工した時にお引渡し式を行っております。
入居後のアフターを万全にしたい事と大切なマイホーム建設を私どもに
ご用命いただいたお礼と感謝を表したいため行っております。
この式の出席者はお施主様ご家族と
1.担当営業
2.担当工務
3.お客さまセンター(アフターサービス)
4.コーディネーター
5.社長または常務
八幡、若松、中間、遠賀地区の式には常務が出席し、小倉、門司、行橋、
苅田、筑豊地区は私が出席いたします。
先日常務の方から『今日のお引渡し式は超感動いたしました。』との報告
がありました。
お引渡し式の日にちが、お施主様のご主人の誕生日であったので、全員で
『ハッピ・バースディ』を唄い、ケーキを食べました。
更に感動したのは、小学校のお子様(小学3年生)がマイホームを建ててくれた
お父様にお礼と感謝の手紙の朗読があったとのことでした。
全員の目がうるうるして涙目になったとのことです。
結婚式で新婦が両親に感謝の手紙を朗読するのと同じような感動があった
そうです。
お子さんが自分の思いつきで書いたとは思えません。
お母様が子供に話し、了解納得させ、お子様が自主的に書いたのでしょう。
家庭内に感謝と尊敬があり、それぞれがそれを素直に表している、とても
温かくて、やさしい家庭風景が目に浮かびます。
すばらしいお父様です。
すばらしいお母様です。
たぶん周りの方々にも親切な家族でしょう。
マイホーム建築という仕事についていたので、この感動を味わえました。
我々の仕事で家族の絆が一段と深まる、その絆が周囲をよくする。
改めて我々の仕事の社会的使命、やりがいを経験できました。
| 平成24年4月8日 名も無く、貧しく、美しく |
今年の初夏まで自転車通勤すると宣言し、7ヶ月がたちました。
9月、10月、11月は気候もよく快適だったのですが、徐々に寒くなり、冷たくなり、
『この冬を乗り切れるのかなぁ』と自分に自信を失いかけた時期もありました。
傍からみると『変なオッサン』という防寒の出で立ちでこの冬の峠を越え、やっと
一息の今日この頃です。
これからは、色とりどりの花、新緑、薫風を楽しみながらの自転車通勤となり、人生
を得しているという実感が味わえそうです。
通勤途中、ホームレスの人が暮らしている近くを通ります。
空き缶を拾ってきてそれを売って、生業(なりわい)にしているようです。
どうしてホームレスになったのか?
社会に適合できなくて・・・
人間付き合いが難しくて・・・
その他個人的な過去経歴で・・・
分かりません。
その人が一匹の白い大きな犬を飼っているのです。
ソフトバンクのお父さん犬によく似ています。
彼とその犬の関係がものすごくほほえましいのです。
彼がいないと淋しそうにに泣いています。
彼が空き缶を潰す作業をしているとそばに寝そべって幸福の表情をしています。
彼はものすごく貧乏なんですが、犬にとって貧富のことなんか全く関係なく彼が
好きでたまらないのです。いつも一緒にいたくてたまらないのです。
ホームレスの彼は、公共の空き地にブルーシートで家を造っています。
違反といえば違反かもしれません。
しかし、自活しており、立派に自立しています。
しかも彼の飼っている犬は、彼を尊敬していますし、いつまでも彼についていこうと
決心しています。ものすごく強い絆で結ばれています。
人間以上の家族のように思えます。
名もありませんし、間違いなく貧しい、しかし一個の人間として、生物として完璧に
美しいのです。
狭い考え方で、『社会ルールに違反しているここから立ち退け』などど善人ぶって言
わないでほしいと思っています。どうせ余っている公共の土地なのですから有効に活
用してもらった方がいい。
それくらいの肌理細やかな配慮、大きい判断をする行政になってもらいたいと思って
います。二人が仲良くこの地でいつまでも暮らしていけるように願っています。
ホームレスと愛犬・・・この家族を見て、日本の家族の原点を感じました。
親が子を、子が親を殺傷する事件が頻発する現代、原点的な心の価値観で暮らせ
ようになれば日本はもっと笑顔のある豊かな国になれるような気がしている通勤
所感でした。
| 平成24年3月10日 鳴 門 |
東日本大震災の後アメリカ コロンビア大学のドナルド・キーン博士が日本に帰化を決意
したことに感銘を受けたブログを掲載いたしました。
震災後多くの外国人が日本を離れたことに博士は憤りを覚え、自身の日本に帰化を決心
されたのでした。御年80歳を越えての決心です。
故郷から離れたくない、故郷で死を迎えたいというのが普通の人だろうと思います。
しかし、博士は被災に遭われた人々、日本に勇気を与えるために自分が役に立つのなら
という義憤からの発想だと思います。
もし自分が博士と同じ経歴であった時に同じような決断、行動が取れるのか、言葉が悪い
ですが、老い先もさほど長くない、そんな無理しなくても、同情と激励はするが帰化まで考
えない。
とても自分には出来ない決断です。
博士の男らしい、そして若々しい決断を尊敬いたします。
博士の日本帰化名が決定しという報道がありました。
ドナルド・キーン 日本名 鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)
鬼怒川という音がアメリカ名によく合っているからと解説があり、博士の晴れ晴れとした
お顔と日本名の表示がテレビに映っていました。
博士にはいつまでもご健勝で、アメリカ人そして日本人の誇りとしてご活躍をお祈りいたし
ます。
鳴門という字を見た時また別のこと思い出しました。
文芸春秋の2月号の巻頭のページに徳島県鳴門市の美術館が掲載されていました。
大塚国際美術館です。
私は2度訪れたことがあります。
どちらも鳴門海峡の大渦潮を観潮船に乗って体験し、その後大塚美術館によりました。
一日で観賞できないほど大きくて内容も充実しています。
できれば二日は欲しいのですが、鳴門までゆくと大渦潮も必見であるし、いつもこのよ
うな旅程になってしまいます。
大塚美術館は世界の美術、絵画などを陶板で模造したものを展示しています。
本物でない模造展示美術館ですが、これがすばらしいのです。
文芸春秋にもいろいろな絵画が掲載されています。
徳島県は九州から行くと足の便が悪いのですが、一度行かれることをお勧めいたします。
帰路は香川県からにして、フェリーで直島に立ち寄り、直島の地中美術館を観賞する。
地中にある美術館の発想に酔いしれ、安藤忠雄になった気分になる。
そして大展示室に展示されているモネの睡蓮に圧倒される。
こんな旅行をお勧めいたします。
ドナルド・キーン博士の帰化名から鳴門を想い出し、また訪れてみたい衝動が起きてき
ました。
| 平成24年2月4日 ガッチャーン、 ギャフン |
2000年の8月に長崎に転勤いたしました。
長崎で仕事の集大成を完成させ、その地で自分の会社員生活と任務を終了
させようとある覚悟を抱いての赴任でした。
既に小倉で自宅を建てていて最後は小倉で暮らそうと思っていましたから、
家内に小倉の家を守ってもらいたいという気持ちもあり、単身で赴任すること
いたしました。
結局、長崎は1年半の短い期間に終わり、自分の意気込みも空回りに終わった
ような状況にになり、仕事への意欲減退になり、現在の会社へ転職のきっかけ
になってしまいました。
転勤の際、家内の車を購入いたしました。
日常の買い物や移動に不便にならないための配慮でした。
それから13年、走行距離はそれほど多くないのですが何分にも古くなったので
新車に買い換えることにいたしました。
最近の車のナンバーは指定できるとのことでしたので、家内に好きな番号を
考えておくように言っていました。
私 : 車のナンバー決めた?
妻 : 決めました。
私 : 誕生月日にするんだろう?
妻 : いいえ。結婚記念日にする。
ガァ~ンと頭を殴られたような感じでした。
たぶん誕生月日を選ぶだろうと思っていたところが結婚記念日です。
今まで家内にはいろいろ苦労をかけ、心配させ、喧嘩もし、家内からは夫として
の高い評価をもらっていませんでした。(私自身は夫として85点だと思っていますが、
家内の評価は65点です。)
それが、車のナンバーに結婚記念日。
彼女が言っているより、私への評価が高い証でもあり、自由気ままに振舞うこと
に対しての警鐘でもあります。
私は自分の首に大きい首輪をつけられ、ガチャーンと鎖に繋がれたようなショック
でした。
評価が高いのではなく、これ以上自由気ままでは振舞うことは許さないという警告
を意味した車のナンバー選定でした。
| 平成24年1月14日 昔のこと、幼馴染み |
久しぶりに正月を故郷で迎えました。
兄の家に泊まり、帰省中は毎日道後温泉に行きました。
松山市の道後が私の生まれ故郷です。
私の子供の頃の道後には自宅にお風呂のあるところはほとんどなく、どこの家庭も
道後温泉を利用していました。
ですから道後に暮らす人は温泉で出合うので、名前は分からなくてもどの人も顔
なじみという環境です。
温泉では裸ですから見栄や体裁はなく、ありのままの本音の会話になります。
松山の人間はオープンで無防備的な所があるのは、この道後温泉の開放感が
影響している気がしています。
喧嘩してもお風呂で一緒になるのですから、いがみ合うほどの事はなく、どこかに
協調性をもっていますし、全般的にざっくばらんな人が多いように感じます。
小学生の頃は家族全員で道後温泉に行き、帰りは父親の話を聞いたり、星座を
探したりしながら、田んぼの道を帰宅しました。当時星が美しく、冬のオリオン座は
すごく目につきました。
家族6人がいつも一緒だったような記憶があります。
中学生になると家族と風呂に行かず、隣に住んでいた『Kちゃん』という私より1学
年下の幼馴染みと毎日連れ立って温泉に行きました。
高校は違っていたので、高校からは一緒に行く機会がありませんでした。
今回の帰省ではその幼馴染みと一緒に風呂に行くのが大きな目的でした。
電話すると、二つ返事でOK、彼も私と同じ気持ちだったと思います。
道後の温泉の浴槽や洗い場は御影石で出来ており、いつも温泉が溢れ流れて
ていますから、その石のぬくもりで身体の芯から温まります。
浴槽の縁石を枕にして仰向けに寝転び、昔の話、今の話・・・1時間半。
中学生の時もこのような状態でした。
子供にしては超長風呂、なんの話をしていたのか、たぶんお互いにあこがれの
の女性の話をしていたのではないかと思います。
恋に恋する多感な年代でしたから。
故郷を離れて40年余り、のんびりとした故郷の風土のまどろしさと非進歩性に
嫌気がさしていましたが、今はよさを感じれるようになりました。
道後温泉に正岡子規の一句がありました。
10年の汗を
道後の温泉(ゆ)で
洗え
この句を読んだ子規の気持ちが分かった気がいたしました。
| 平成23年12月11日 2011年のこと |
あっという間に2011年も残り20日ほどになってしまいました。
3月11日の東北大震災、大津波、原子力発電事故、放射能、避難、除染、瓦礫除去・・・
進行中です。
タイの大洪水、ギリシアに端を発するヨーロッパの財政破綻、円高・・・
進行中です。
国内政治の不手際、財政健全化・・・どうなるんでしょう、進行中です。
どんなことが起きても目標を見つづけ、現状で出来る努力を惜しまない。
『何事も受けて立つ身の不動心』
人生も仕事も流動の中で考え、決断、行動する。
このような感覚が大事であるということを再認識した一年でした。
ショックだったことは自分に近い二人の方が亡くなったことでした。
一人は学生時代の部活動の仲間。
昨年暮れ、茨木県の水戸からわざわざ我が家を訪れ、B級グルメの居酒屋で昔を語り、
その時に病状を打ち明けられ、その翌月に昔の仲間が松山に集合し、酒宴を開き、まだ
まだ元気だった彼を心の中で激励し(男は口では激励してもらいたくない動物なので)、
再起を願った友人が他界したこと。
奥さんが『主人が後のことを書いておいてくれていましたので助かりました。』と気丈に
話してくれたのに、さらに悲しみと寂しさを覚えました。
一人は元の上司。
厳しく、辛口でしたが、容量があり、公正で、温かかった人でした。
退職しても時々お宅にお邪魔し、話しました。
自分のご病気のことなど、一口も口に出さず、ただ足腰が弱くなり、悪くなったという
そぶりだけ、それが身体の内部疾患からきているなど言ってくれませんでした。
奥さんが『後のことを主人が手紙に書いていてくれましたので、助かりました。』
二人とも同じことを考え、後に残る家族のことを心配し、激励し、旅立ったのだと思います。
2012年もいろいろなことがあり、起こると思います。
動じることなく、家族のため、社員のために踏ん張っていこうと決意しております。
年末ごろにもう一本ブログをアップするかもしれませんが、忘れていたらこれが今年度
最後となります。
どうぞ良いお年をお迎え下さい。
| 平成23年11月28日 展示場建設と打合せギャラリーの新設 |
忙しさにかまけてブログアップが遅くなりました。
10月に小倉駅北口にある、RKB総合住宅展示場と八幡西区ひびきの総合住宅展示場
にモデルハウスを出展いたしました。
両方ともすばらしい出来栄えです。
基本設計は私が信頼している当社のチーフデザイナーにしてもらいました。
今までは彼に全て任していたのですが、今回は詳細設計、デザイン、
コーディネーションを若手に任せました。
設計者とコーディネーターがあれこれ悩みながら造り上げてくれました。
私は経験でしか人の成長はないと思っています。
机上で学ぶことも多いですが、やっぱり現場で学んだことは忘れないし、
そこでの失敗は将来の成功に繋がるはずです。
住宅は、外観デザイン、内部意匠、色合い、小物・・・人によっていろいろ
好みが違っています。
しかし、どのタイプの住宅でも上品さや品格が必要であると思っています。
モダンな住宅にも、クラシックな住宅にもそれぞれの分野での品格が必要と
思っています。品格というと重たいイメージですが、ポップで軽快な品格も
ありますし、超お洒落感の住宅にも品格があると思っています。
それを上手く表現するのがプロで、当社の設計マン、コーディネーターがその技術や心を
会得しつつあるように感じました。
非常に心強く感じた 両展示場建設でした。
お時間がありましたら、是非とも小倉北口RKBと八幡西区ひびきの
両展示場にお越し下さい。
11月には本社事務所の打合せ室と福岡の打合せ室を新設しました。
これもまたすばらしい出来栄えで、店舗設計や店舗デザインも一流に
なったと喜んでいます。
福岡のギャラリーは大博通り沿いにあります。博多駅から海方向に向かう右側です。
徒歩10分以内の距離ですし、ビルの一階ですので、立ち寄りやすいと思います。
コーヒーなどの接客もできるようにしていますのでお気軽にお越し下さい。
設計陣、コーディネーター陣がワンステップ上がった手ごたえを感じた展示場とギャラリー
建設でした。
| 平成23年10月28日 言葉ひとつで状況が変わるかも。 |
結婚して38年になります。
波風立たず平穏な家庭生活だったかと言われれば、『いやぁ~人生いろいろです
わぁ~。』と答えると思います。
しかし、今まで一緒ですから、お互いに尊敬し合い、大切に思い、存在を認め合っ
ているはずです。
結婚の馴れ初めについて書いてみたいと思います。
私が大学を卒業して大阪の会社に就職、社会人2年目の秋、11月。
妹と友人の女性二人で関西旅行に来ました。
その頃私は甲子園に建っていた会社の独身寮住いでした。
親元を離れ初めての生活でしたが、ホームシックどころか自由で毎日毎日が新鮮で
楽しくて仕方ありません。
プライベートは神戸方面が多かったので、二人を案内したのも神戸・六甲でした。
その年の正月休み、年末に帰省すると高浜港まで家族と神戸を案内した女性が迎え
に来てくれていました。
彼女が今のカミサンになる人です。
私の家族と彼女と一緒に昔のお正月を楽しみました。
たぶん正月の3日、いよいよ大阪に帰る夜、港まで家族と彼女が見送ってくれました。
乗船口までの数分間、二人が並んで歩きました。
二人が一緒になったのはその数分間だけです。
その時の会話
私: 結婚しよう。
彼女: ハイ。
これで決定です。
プロポーズではなく、私の結婚宣言みたいなものです。
しかも2回会っただけ、二人で一緒になったのは、乗船口までの並行した数分間。
彼女も私のことをあまり分からず、『ハイ』ですから、度胸があります。
私が23歳、彼女22歳。
今思い返しても絶妙のタイミングであったと思っています。
しかし上記の会話が以下のようであったら違った展開になったような気がします。
私: 結婚してくれませんか?
彼女: ・・・・少し考えさしてください。
そして少し時間が経過して、
彼女からこのような返答があったはずです。
彼女: もう少しお付き合いさせてください。それからのお返事でいいですか。
そのうち、距離が災いして縁が遠のき、いい思い出で終わる。The End.
たぶんこの展開だったはずです。
言葉の使い方ひとつで展開が変わるように思えます。
この後住宅の営業として仕事をしてゆくわけですが、この経験がずいぶん役に立って
います。
尚、港で見送ってもらった後、15日(成人の日)に日帰りで帰省しました。
こちらの本心を伝えるためにすぐさま行動を起こすのは今も昔も変わっていないようです。
結婚を3年後の26歳、生活が出来ない気がしたのでとりあえず3年後に設定。
結局途中転職するので生活が安定しないまま結婚するのですが・・・。
とにかく3年後の26歳、彼女25歳と目標設定。
大阪と松山、途中転職し、大分と松山という中距離恋愛が始まりました。
その間、おびただしい手紙と電話。
お互いに熱くウキウキした恋愛期間でした。
熱い恋愛でも、生活すると喧嘩もするし、波風も立ち、冒頭のような言葉になります。
しかし、いいカミサンと知り合えてよかったと感謝しています。
| 平成23年10月13日 疾風に勁草を知る。 |
先日当社社員の結婚式がありました。
社員の結婚式ですから、社長が主賓の祝辞を述べるのは当然です。
しかし、ここ数年結婚式祝辞がトラウマになっております。
と言いますのも、私が主賓挨拶をすると、結婚をした人が業績不振に陥るのです。
回復まで相当の期間を有します。私の挨拶が原因でないと思いながらも因縁めい
いたように感じてしまいます。
今回の結婚式もこのような思いがあったものですから、専務に私に代わって主賓の
挨拶を頼みました。
しかし、私が出席していないのならまだしも、そこにいて代わりに専務が・・・・と
いうのも結婚する社員とご親族に失礼に当たりますし、今回も私の挨拶になりました。
今までの結婚式の時には、『とにかく褒めないといけない。』
いい所を見つけ、それに期待を上乗せして、間違わないように・・・
歯の浮くような褒め言葉も結婚式ではオーケーと思っていました。
普段は叱ってばっかりの男が褒めるのですから、慣れていません。
そこでしゃべることを書き、それを読み上げるというカンニング・ペーパースタイルで
やってきました。
文章的にはおかしくもなく、その場だけの時間はうまく取り繕うという常識的な及第
点のスピーチだったと思います。
今回からは普段自分の思っていることを飾らずそのまま述べようと思い、カンニング
ペーパーを用意せず、挨拶に立ちました。
当社の社員はまだまだ磨かれていませんが、みんなダイヤモンドの原石だと思って
います。
全員熱い心があり、責任感があり、お客様にも仲間にも温かい、正直で、親切で
愉快な心根の持ち主ばかりです。
今回の結婚者もこのような男です。
ダイヤの原石は人が磨いて輝きを増します。しかし、人間の原石を自分自身で磨かね
ば輝きません。輝く場だけは会社が用意します。輝くのは自分しだいです。
このような話をいたしました。これは自分が普段から思っている通りのことです。
そして、最後に社員に期待していることを述べたのが、今回のブログの題です。
『疾風に勁草を知る。』
勁草とは強い草という意味です。
どの草も普段の微風ですと全部同じように見えます。
台風や強風が吹いた時、有事のときにその草が強かったか、弱かったかが分かる。
有事の際に真価がわかる。そのような強い人間にならなければならない。
普段より精進に努め、自分を磨かなければならない。
このような力強い男を目指してもらいたい。
社員全員がこのような人間になってもらいたい。
この話をいたしました。
普段から自分が思っていたことなのでずいぶん話しやすかったです。
これからは主賓の挨拶のトラウマが解消されそうです。
| 平成23年9月18日 自転車 |
8月末より自転車通勤を再開しました。
自宅から会社までは8キロ強の道のりです。
市街地の道は凸凹が多く、それにハンドルをとられ転倒の危険も多いので、できる
だけタイヤ幅の広いマウンティンバイクを利用しています。
自宅には、細身で超軽量の競技用の自転車もありますが、このマウンティンバイクが
一番重宝です。
20数年前に購入したものです。機能的にはどこも悪いところがなく、頑丈さに驚嘆です。
35分ほどひたすらペタルを踏み続けるわけです。
途中紫川の川べりを通り、とてもすがすがしい気持ちも味わえます。まさに今を生きて
いるという実感です。
帰宅時はライトを自転車や身体に点灯させ、安全確認を怠らないように運転してゆき
ます。
ペタルを踏み続けている最中、瞬間の安全に気を配っているせいか、今度の休みに
どこそこに行こうなどというレクリエーション的なことは一切考えていません。
仕事のことや生き方のことなど案外深い部分の思考を巡らしながら目的地目指して
ペダルを踏み続けています。
人間は肉体的疲労が伴う時などは優先順位の高い順の思考するような構造になって
いるのかもしれません。
上り坂を登りきり、風を切って下り坂を下りる。すごく爽快。
しかし、この下り坂は危険がいっぱい。注意、注意!!
仕事も人生も同じなどとついつい思ってしまいます。
ギア比を調節しながら、上り、下りをあやつり、途中下車しないように。
自転車はこぐのを止めたら転倒、いつもいつもこぎ続ける。
小休止するより、ずっとこぎ続ける方が楽。
なにか仕事と似ています。
来年の初夏まで自転車通勤を続けたいと思っています。